December 07121999

 鴨鍋のさめて男のつまらなき

                           山尾玉藻

理の席で、ご馳走になっているのだろう。鍋物は、座をやわらげる。ぐつぐつと煮えている間は、さして親しくない者同士でも、とりあえずは場がもつのである。だが、やがて火が落とされ、だんだん鍋の物がさめてくるにつれて、作者のように気分がしらけてくるということも起きる。はじめからつまらない男とは承知だが、やはりつまらないという事態に立ち至り、そこで女は席を立つ機会をうかがう……。高級な鍋料理だけに、この場のみじめさはことさらに大きく感じられる。もとより、この逆のケースもありうるわけで、句の「男」を「女」と入れ替えてもよいわけだ。だが、入れ替えてみると、意味は通るのだけれど、句が汚くなる。なんとなく、いやな感じになる。もっと言えば、下品に堕ちてしまう。なぜだろうか。理由は、読者諸兄姉がお考えの通りだ。鍋物の季節到来。鴨鍋なんぞはどうでもいいから、そこらへんの安物の寄鍋を、親しい者同士でつつくのがいちばん美味しい。店の建て付けがガタビシしていて、隙間風がはいってくるとなれば、もう言うことなし。このやせ我慢も、鍋の大事なかくし味。「寄鍋や酒は二級をよしとする」(吉井莫生)。(清水哲男)




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