November 26111999

 ロボットと話している児日短か

                           八木三日女

後「前衛俳句」運動のトップランナーであった三日女(「満開の森の陰部の鰓呼吸」「赤い地図なお鮮血の絹を裂く」など)の近作だ(1995)。一読、ほほえましいような光景ではあるが、具体的に場面を想像してみる(たとえば「鉄腕アトム」と話している子供)と、不気味な句に思えてくる。アトムとまではいかないが、最近では人語に反応するロボット玩具が開発されており、句の場景も絵空事ではなくなってきた。不気味というのは、感情を持たない話し相手に感情移入できているという錯覚のそれである。ロボットと話すことで癒される心のありようは、不気味だとしか言いようがない。原理的に考えれば、ロボットに言語を埋め込むのは所有者であるから、ロボットとの対話は自身の一部との会話に他ならず、それもいちいち音声化する必要のない部分との対話である。対話型のロボットは、所有者に都合のよい「甘えの構造」の外在化でしかないだろう。そしてこのとき「日短か(「ひぃみじか」と関西弁で発音してください)」というのは、人類の冬の季節における「短日」の意味に受け取れる。世紀末にふさわしい一句と言うべきだ。(清水哲男)




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