November 22111999

 舎利舎利と枯草を行く女かな

                           永田耕衣

景かもしれない。枯草原を女が歩いている。和服の裾が枯草に触れて、そのたびにかすかな音がする。しゃりしゃり、と。それを作者は「舎利舎利」と聞きなしているわけだが、若い読者には駄洒落としか思えないだろう。しかし、七十代も後半の作者は大真面目だ。この場合の「舎利」は火葬の後の骨のこと。晩年にさしかかったという自覚のある耕衣には、しごく素直にそう聞こえたのである。このとき女は幽霊のようであり、自分をあの世に誘う使者のようでもある。といって、暗い句ではない。むしろ、死を従容として受け入れようとする心が描いた「清澄な世界」とでも言うべきか。明晰なイリュージョン。私ももう少し歳を重ねることになったら、かくのごとき境地にあやかりたいものだ。ところで、幽霊とお化けとはどう違うのか。簡単に言うと、幽霊は「人」につき、お化けは「場所」につく。柳の下に出る幽霊は「場所」についているようだが、実は違う。あれは、誰にも見えるわけじゃない。とりつかれた人にだけしか見えないのだから、どうかご安心を(笑)。そろそろ柳の散る季節。寒がりの幽霊は、もう出なくなる。『殺佛』(1978)所収。(清水哲男)




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