November 15111999

 院長のうしろ姿や吊し柿

                           大木あまり

立ての妙。そして、人間の不可解な感情のありどころ。院長は、病院の院長だろう。病院で院長が登場するとなれば、多くの場合、患者の家族に対しての深刻な話があるときと決まっているようなものだ。話し終わった院長が「そういうわけですから、よくお考えになって……」と席を立ち、くるりと後ろを向いた。目を上げた作者は、とたんになぜか「あっ、吊し柿に似ている」と思ってしまった。彼の話の中身はやはり深刻なもので、作者はうちひしがれた気持ちになっているのだが、「吊し柿」みたいと可笑しくなってしまったことも事実なのだし、その不思議をそのまま正直に書きつけた句だ。こういうことは、誰の身にも起きる。葬儀の最中に、クスクス笑いがこみあげてくることもある。不謹慎と思うと、なおさら止まらない。あれはいったい、何なのだろうか。どういう感情のメカニズムによるものなのか。そして、古来「吊し柿(干柿)」の句は数あれど、人の姿に見立てた句に出会ったのははじめてだ。読んでからいろいろと想像して、この院長は好きになれそうな人だと思った。もちろん、作者についても。『雲の塔』(1994)所収。(清水哲男)




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