November 11111999

 枯枝に烏のとまりたるや秋の暮

                           松尾芭蕉

れっ、どこか違うな。そう思われた読者も多いと思う。よく知られているのは「かれ朶に烏のとまりけり秋の暮」という句のほうだから……(「朶」は「えだ」)。実は掲句が初案で、この句は後に芭蕉が改作したものだ。もとより推敲改作は作者の勝手ではあるとしても、芭蕉の場合には「改悪」が多いので困ってしまう。このケースなどが典型的で、若き日の句を無理矢理に「蕉風」に整えようとしたために、活気のない、つまらない句になっている。上掲の初案のほうがよほどよいのに、惜しいことをする人だ。「とまりたるや」は、これぞ「秋の暮」を象徴するシーンではないか。「ねえ、みなさんもそう思うでしょ」という作者の呼びかける声が伝わってくる。それがオツに澄ました「とまりけり」では、安物のカレンダーの水墨画みたいに貧相だ。私の持論だが、表現は時の勢いで成立するのだから、後に省みてどうであろうが、それでよしとしたほうがよい。生涯の表現物をきれいに化粧しなおすような行為は、大袈裟ではなく、みずからの人間性への冒涜ではあるまいか。飯島耕一が初期の芭蕉を面白いと言うのも、このあたりに関係がありそうだ。「エエカッコシイ」の芭蕉は好きじゃない。(清水哲男)




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