October 15101999

 手でひねり点け手でひねり消す秋灯

                           京極杞陽

灯は「あきともし」と読ませる。そういえば、以前の電燈のスイッチは電球の真上についていた。いまでは部屋の片隅に取り付けてあるスイッチを押すか、ぶら下がっている紐を引っ張って点灯する様式のものが普通だ。いちいち電球の上に手を伸ばして「ひねり点け」るのが面倒なので、改良されたというわけである。作句年代を調べたら、1976年(昭和51年)とあった。そんなに昔のことでもない。それにしても、妙なことに感心する人もいたものだ。……と思うのは間違いで、この様式のスイッチだからこそ「秋灯」と結びつく句になったのである。そぞろ寒さが感じられる秋の夜に、電燈のぬくもりは心地よい。このスイッチでないと、秋灯の温度が体感できないということである。今様のスイッチは電燈から遠く離れていて、もはやこの情趣とは無縁になってしまった。道具ひとつの盛衰が私たちの情感に影響していると考えると、空恐ろしくなってくる。あと半世紀もたたないうちに、この句は図解でもしないと理解不能になるだろう。『さめぬなり』(1982)所収。(清水哲男)




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