October 02101999

 女ゐてオカズのごとき秋の暮

                           加藤郁乎

乎大人のことだから、美女と差し向いで一杯やっている図だろう。目の前の女にくらべれば、「秋の暮」なんぞはオカズみたいなものさとうそぶいている。いささかの無頼を気取った江戸前の粋な句だ。でも、句の解釈をここで止めてはいけない。「結構なご身分で……、ご馳走様」と、ここで止めてしまうのは、失礼ながら素人の読み。句の奥底には、実は痛烈な俳句批判がこめられている。すなわち、多くの俳人たちが「秋の暮」に対するときの「通俗」ぶりを嫌い、批判しているのである。そのへんの歳時記をめくってみればわかるが、通俗的な寂寥感と結びつけた「秋の暮」句のなんと多いことか。抒情の大安売り。みんな演歌の歌詞みたいで、うんざりさせられる。作者とて、もとより「秋の暮」の抒情を理解しないわけではない。が、ここは一番、俳人たちの安易な態度を批判しておく必要があると、悪戯っぽくひねってみせたのが、この句の正体である。同様の発想が生んだ句に「軽みとな煮ても焼いても秋の暮」がある。なお、「秋の暮」は秋の日暮れのことで「暮の秋(秋の終り)」ではない。『秋の暮』(1980)所収。(清水哲男)




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