September 3091999

 孔子一行衣服で赭い梨を拭き

                           飯島晴子

(あか)は、赤色というよりも赤茶けた色。野性的な色だ。わずか十七文字での見事なドラマ。曠野を行く孔子一行の困苦と、しかしどことなくおおらかな雰囲気が伝わってくる。句についての感想で、かつて飯田龍太は衣服の色が「赭い」と読んでいるが、いささかの無理があるだろう。失礼ながら、誤読に近い。私としては素直に梨が赭いと読んで、衣服の色彩は読者の想像のうちにあるほうがよいと思う。ただし、どんな誤読にも根拠があるのであって、たしかにこの「赭」には、茫漠たる曠野の赤土色を思わせる力があるし、光景全体を象徴する色彩として機能しているところがある。句全体が、赭いといえば赭いと言えるのだ。それはともかくとしても、農薬問題以来、私たちは衣服で梨や林檎をキュッキュッと拭って齧ることもしなくなり、その意味からも、この句がますますおおらかに感じられ、スケールの大きさも感じられるというわけだ。したがって「まさしく才智きわまった作」と龍太が述べている点については、いささかの異存もない。「内容をせんさくして何が浮かびあがるという作品ではない」ということについても。『朱田』(1976)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます