September 2891999

 蓼紅しもののみごとに欺けば

                           藤田湘子

のような嘘をついたのか。あまりにも相手が簡単に信じてくれたので、逆に吃驚している。しかし、だから安堵したというのではない。安堵は束の間で、自責の念がふつふつとわき上がってきた。秋風にそよぐ蓼(たで)の花。ふだんは気にもとめない平凡な花の赤さが、やけに目にしみてくる。人には、嘘をつかなければならぬときがある。それは必ずしも自己の保身や利益のためにだけではなく、相手の心情を思いやってつく場合もある。この種の欺きが、いちばん辛い。たとえば会社の人事などをめぐって、よくある話だ。そして、人を欺くというとき、相手がいささかも疑念を抱かないときほど切ないことはないのである。ところで、蓼の花は、日本の自生種だけで五十種類以上もあるそうだ。俳句では、そのなかから「犬蓼(いぬたで)」だけは区別してきた。「犬蓼」の別名は「赤のまんま」「赤まんま」など。子供のままごと遊びの「赤いまんま(赤飯)」に使われたことから、この名がつけられたという。『途上』(1955)所収。(清水哲男)




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