September 2191999

 一家に遊女もねたり萩と月

                           松尾芭蕉

の『おくのほそ道』のなかでの唯一の色模様。というほどでもないけれど、田舎わたらいをする遊女と同宿したエピソードは、この旅行記を大いに盛り上げている。「一家」は「ひとつや」。田舎(市振)の宿だから、隣室の会話は筒抜けだ。芭蕉が「枕引よせて」寝ていると、次の間から遊女の哀れな身の上話が洩れ聞こえてきてしまう。翌朝、出発しようとしている芭蕉と曾良にむかって、彼女は心細いので「見えがくれにも御跡をしたひ侍ん」と頼み込むのだが、この後の芭蕉の返事が格好よい。「我々は所々にてとゞまる方おほし。只(ただ)人の行(ゆく)にまかせて行(ゆく)べし。神明の加護かならず恙(つつが)なかるべし」と、クールにも断っている。そうは言ったものの「哀さしばらくやまざりけらし」と書いた芭蕉の得意や、思うべし。このシチュエーションのなかでの、この句である。世間を捨てた者同士が、寄り添うこともなく別々に流れていくという美学。それはまさに「萩」と「月」のように、同じ哀調をかもし出しながらも、ついに触れあうこともない関係に相似している。蛇足ながら(御存じとは思うが)、遊女とのこの話がフィクション(真っ赤な嘘)であったことは、多くの野暮な研究者たちが立証ずみである。(清水哲男)




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