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September 1391999

 蓑虫の出来そこなひの蓑なりけり

                           安住 敦

笑いしながらも、私にとっては切ない句だ。私には、工作をはじめとする「造形」のセンスがないからである。「東京造形大学」だなんて、何年浪人しても、ついに入れないだろう。そうか。蓑虫(みのむし)にも、造形に不得手な奴がいるのか。でも、不得手だと、人間と違って困るだろうなあ。人間なら、不得手はある程度、他人にカバーしてもらえる。実際、私は見知らぬ他人が作ってくれた部屋に住んでいる。そこへいくと、蓑虫は独力で「家」を作らなければならない。下手な奴だって、とにかく作らないことには、ジ・エンドになってしまう。だから、格好悪くても(なんて、蓑虫は思っちゃいないのだが)何でも、無理矢理に作って木の枝などにぶら下がっている。ああ、蓑虫に生まれなくてよかった。でも、人間に生まれたのが実は夢で、明朝目覚めたらやはり「蓑虫」だったりして……(泣)。しかも蓑虫は、雄だと成虫(ミノガ科の蛾)になれば蓑を捨てて世の中を見られるけれど、雌の場合には羽根もなく生涯を蓑のなかで過ごすのだという。私には、耐えられない。というわけで、みなさん、蓑虫を見かけたら、やさしく見守ってあげましょう。それは来世のあなたであり、私であるのかもしれませんから。(清水哲男)


August 1582000

 秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみか

                           高浜虚子

句時点は、敗戦の日から一週間を経た八月二十二日。このころ虚子は小諸に疎開しており、前書に「在小諸。詔勅を拝し奉りて、朝日新聞の求めに応じて」とある。掲句につづくのは、次の二句である。「敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」。この二句は凡庸だが、掲句には凄みを感じる。虚子としては、おそらくは生まれてはじめて、正面から社会と対峙する句を求められた。この「国難」に際して、はたして「花鳥諷詠」はよく耐えられるのか。まっすぐに突きつけられた難題に、虚子は泣かない(鳴かない)「蓑虫(みのむし)」をも泣かせることで、まっすぐに答えてみせた。「蓑虫」とは、もちろん物言わぬ一庶民としての自分の比喩でもある。「秋蝉」との季重なりは承知の上で、みずからの心に怒濤のように迫り来た驚愕と困惑と悲しみとを、まさかの敗戦など露ほども疑わなかった多くの人々と共有したかった。青天の霹靂的事態には、人は自然のなかで慟哭するしかないのだと……。無力なのだと……。「蓑虫」や「秋蝉」に逃げ込むのはずるいよと、若き日の私は感じていた。しかし、虚子俳句の到達点がはからずも示された一句なのだと、いまの私は考えている。みずからの方法を確立した表現者は、死ぬまでそれを手ばなすことはできないのだ。掲句の凄みは、そのことも含んでいる。『六百句』(1946)所収。(清水哲男)

ちょっと一言・国文的常識のうちでは、蓑虫はちゃんと鳴く(泣く)。『枕草子』に「秋風吹けば父恋しと鳴く」と出てくるからだ(長くなるので、なぜ鳴くかは省略。原典参照)。この話から「蓑虫」は秋の季語になったと言ってよい。もちろん、虚子は百も承知であった。


September 2592000

 蓑虫や天よりくだる感嘆符!

                           小沢信男

虫(みのむし)というと、たとえば「蓑虫の寝ねし重りに糸ゆれず」(能村登四郎)など、既にぶら下がっている状態を思うのが普通だろう。既にぶら下がっているのだから、蓑虫の動きは風による水平移動に限定される。「糸ゆれず」も、ゆれるとすれば左右への動きとなる。ところが、掲句は蓑虫の垂直の動きを捉えることで、私たちの観察の常識を破った。すうっと上から下ってきた蓑虫が静止した瞬間を、発止と捉えている。この鮮やかさ。その姿を「感嘆符!」に見立てた切れ味の鋭さ。「!」に見られる諧謔味も十分であり、同時に私たち人間のの感嘆が「天よりくだる」としか言いようのない真実を押さえて重厚である。掲句を読んだあとでは、ぶら下がっている蓑虫を見る目が変わってしまう。垂直に誕生してきた虫を思うことになる。つくづく、この世に俳句があってよかったと嬉しく思う一瞬だ。。作者にとっても、事はおそらく同様だろう。作者にとってのこの一句は、恩寵のように垂直に、それこそ「俳句の天」よりくだりきたものであるはずだからだ。『んの字』(2000)所収。(清水哲男)


September 1292003

 鬼の子に虚子一行の立ちどまる

                           岩永佐保

語は「鬼の子」で秋。蓑虫(みのむし)のこと。むろん、想像句だ。吟行だろうか。何でもよろしいが、道ばたで鬼の子を見つけた虚子が「ほお……」と立ちどまると、従っていた弟子たちも同じように立ちどまり、みんなでしばし眺め入っている図である。大の大人の何人もが、いかにも感に堪えたように、ぶら下がったちっぽけな虫を見ながら同じ顔つきをしているのかと想像すると、可笑しさが込み上げてくる。虚子やその一門に対する皮肉か、あるいは諧謔か。表面的に読めばそういうことにもなろうが、私はこれを一つの虚子論であると読んでおきたい。読んだとたんに「あっ」と思った。この「一行」こそが虚子その人なのだと、勝手に合点していた。こう言われてみれば、虚子という俳人はもちろん一人の人間でしかないのだけれど、俳人格としてはいつだって個人ではなく「虚子一行」だったような気がする。初期の句はともかく、大結社「ホトトギス」を率いた彼の句の署名に「虚子」とはあっても、ほとんどが「虚子一行」の「一行」が省略されていると読むべきではあるまいか、と。すなわち、虚子の発想がいつもどこかで個的な衝迫力に欠けているのは、逆に言えばいつもどこかで幾分おおらかであるのは、虚子の個がいつもどこかで「一行」だったからなのではあるまいか。「蓑虫の父よと鳴きて母も無し」は虚子の名句として知られるが、主観性の濃い句にもかかわらず、虚子自身の内面性は希薄だ。つまり「一行」としての発想がそうさせているのではないのか。揚句の作者には、たぶんこの句のことが念頭にあっただろう。虚子が虚子たる所以は、実はこのように常に「一行」的な存在にあったと言いたいのではあるまいか。『丹青』(2003)所収。(清水哲男)


October 26102005

 蓑虫の蓑は文殻もてつづれ

                           山口青邨

語は「蓑虫(みのむし)」で秋。そこはかとなく哀れを誘う虫だ。江戸期の百科事典とも言うべき『和漢三才図絵』(東洋文庫・平凡社)に、その風情がよくまとめられている。「その首を動かす貌、蓑衣たる翁に彷佛(さもに)たり。ゆゑにこれに名づく。俗説に、秋の夜鳴きて曰、秋風吹かば父恋しと。しかれども、いまだ鳴声を聞かず。けだし、この虫木の葉を以て父と為し、家と為し秋風すでに至れば、零落に近し。人これを察して、付会してかいふのみ。その鳴くとは、すだく声にあらず、すなはち涕泣の義なり」。すなわち、蓑虫はいつも涙を流して泣いているのだ。だとすれば、蓑虫よ。木の葉などの蓑をまとわずに、「文殻(ふみがら)」でこしらえた蓑こそが、お前には似つかわしいぞ。懐かしい古い手紙の数々を身にまとえば、少しは心の慰めになろうものを。掲句は、そう言っている。優しい句だ。掲句を読んで、子供ののころにやらかした悪戯を思い出した。ぶら下がっている蓑虫を取ってきて丸裸にし、それをあらかじめ千切っておいた色紙の屑に乗せておく。そのまま遊びに出かけて帰ってくると、なんと蓑虫は色鮮やかな衣装に着替えているというわけだ。これはなんとも野蛮な所行だったが、この虫が文殻を着ることも不可能ではないわけで、作者もそんな遊びを知っているなと、ちらりと余計なことを思ってしまった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 05102007

 蓑虫や滅びのひかり草に木に

                           西島麦南

びとはこの句の場合、枯れのこと。カメラの眼は蓑虫に限りなく接近したあと、ぐんぐんと引いていき秋の野山を映し出す。テーマは蓑虫ではなく、「滅びのひかり」である。もうすぐ冬が来る気配がひかりの強さに感じられる。鳥取県米子市に住んだときはかなりの僻地で、家の前が自衛隊の演習地。広い広い枯野で匍匐前進や火炎放射器の演習をやっていた。他の人家とは離れていたので、夜は飼犬を放した。夜遊び回った果てに戻ってきた犬が池で水を飲む音がする。子規の「犬が来て水飲む音の寒さかな」を読んで、ああこれだななんて思ったものだ。「滅びのひかり」を今日的に使うならすぐ社会的な批評眼の方へ引いて行きたくなるところだが、麦南さんは「ホトトギス」の重鎮。あくまで季節の推移の肌触りを第一義にする。言葉はしかし五感に触れる実感に裏打ちされているからこそ強烈に比喩に跳ぶ。季節の推移についての実感を提示したあと、やがて人類や地球の滅びをも暗示するのである。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


October 26102007

 糸長き蓑虫安静時間過ぐ

                           石田波郷

学校二年生のとき、学校でやるツベルクリン反応が陰性でBCG接種を行なった。結核予防のために抗体として死んだ菌を植え込んだのである。ところが腕の接種の痕が膿んでいつまでも治らない。微熱がつづいて、医者に行くと結核前期の肺浸潤であるという診断。予防接種の菌で結核になったと父母は憤り嘆いたが、父も下っ端の役人であったために、公の責任を問うことにためらいがあり、泣き寝入りをした。今なら医療災害というところか。ひどい話である。伝染病であるために普通学級へ登校はできない。休んでいるとどんどん遅れてしまうからと、療養所のある町の養護学級への転校をすすめられた。僕は泣いて抵抗し、父母も自宅での療養を決断した。このとき、安静度いくつという病状の基準を聞いた気がする。とにかく寝ていなければならなかったのだ。しかし、子供のこと、熱が下がるととても一日寝ていられない。僕は家を抜け出して、近所の小学校へ友達に会いにいった。接してはいけないと言われていたので、遠くからでも顔を見ようと思ったのである。運動場に人影はなく、僕は自分のクラスの窓の下に近づいて背伸びをしてクラスの中を覗いた。授業中だった。「あっ、今井だ」と誰かが気づいて叫んだ瞬間に恥ずかしさがこみ上げて全力で走って帰った。波郷の安静度は僕の比ではなかっただろう。ただただ、仰臥して過ぎ行く時間の長さ。糸長きが命と時間を象徴している。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


November 01112010

 蓑虫を無職と思う黙礼す

                           金原まさ子

るほどねえ。言われてみれば、蓑虫に職業があるとは思えない。どこからこういう発想が出てくるのか。作者の頭の中をのぞいてみたい気がする。でも、ここまでで感心してはいけない。このユニークな発想につけた下五の、これまたユニークなこと。黙礼するのはべつに神々しいからとかご苦労さまだとかの思いからではなく、なんとなく頭が下がったということだろう。行為としてはいささか突飛なのだが、しかしそれを読者は無理なく自然に納得できてしまうから不思議だ。そしてわいてくるのは、諧謔味というよりもペーソスを含んだ微笑のような感情だ。企んだ句ではあるとしても、企みにつきまといがちなアクの強さを感じさせないところに、作者の才質を感じる。金原さんは九十九歳だそうだが、既成の情緒などとは無縁なところがまた素晴らしい。脱帽ものである。「したしたしたした白菊へ神の尿」「片仮名でススキと書けばイタチ来て」『遊戯の家』(2010)所収。(清水哲男)


September 0392012

 蓑虫の揺れぬ不安に首を出す

                           大島雄作

田弘子に「貌出して蓑虫も空見たからう」がある。毎日朝から晩まで木の枝からぶらさがって、しかも真っ暗な巣の中にこもりきりとあっては、誰もがついそんな思いにかられてしまう。しかし考えてみれば、当の蓑虫にとっては大きなお世話なのであり、放っておいてくれとでも言いたくなるところだろう。真っ暗なところで、ぶら下がっているのがいちばん快適なのだ。うっかり空なんぞを見ようと首を出したら、命に関わる。ならば、たとえ命に関わっても、蓑虫が首を出そうとするときは、どういうときなのか。それはまさに命に関わる事態になったときだと、いやでも判断せざるを得ない「こういうときだ」と、掲句は言っている。いつもは風に揺れている巣が、ぴくりとも動かなくなった。こいつは一大事だ、表はどうなっているのかと不安にかられて、命がけで首を出したのである。先の句は人間と同じように蓑虫をとらえた結果であり、後者は人間とは違う種としての蓑虫をとらえている。前者の作者の方が無邪気に優しい分だけ、残酷を強いていると言って良いのかもしれない。『大島雄作句集』(2012)所収。(清水哲男)


October 18102013

 蓑虫にうすうす目鼻ありにけり

                           波多野爽波

波の代表作だが、そもそも、蓑虫に目鼻はあるのだろうか。ネットで調べて見ると、次のようにある。「実は蓑虫は子孫を残すためだけに羽化するため、ミノガに口はなく、餌を食べることはありません。一方、メスはいつまでたっても羽化しません。実は雌は完全に卵を産むためだけの成虫になるため、手足はおろか、目などの感覚器すらありません。」。意外な事実である。しかしながら、爽波が見たのが、雄の蓑虫ならば、目があっても不思議はなかろう。そんなことよりも、この句の詩的真実が訴えかけてくるのは、蓑虫という小動物への作者の親近感である。「うすうす目鼻ありにけり」という細かな観察眼は、確かに、蓑虫の目鼻を捉えた。そう読者に思わせるところがある。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)




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