September 1291999

 玉蜀黍かじり東京に未練なし

                           青野れい子

うだろうか。作者はそう言いながらも、少しは未練があるのではなかろうか。もちろん、あるのだ。あるのだけれど、未練はないと、今の自分に言い聞かせておく必要があるのだ。かつて暮らしていた東京では食べられなかった新鮮な玉蜀黍(とうもろこし)に歯をあてながら、懸命に自己納得しようとしている作者の姿がいじらしい。……と、現に東京に住んでいる私が思うのは傲慢であろうか。そうかもしれないけれど、作者の気持ちがわかるような気がするのは、二度にわたって、私も東京を十数年離れた体験があるせいなのだろうと思う。一度目は家庭の事情で、二度目はみずからの意志で。「恋の都」だの「夢のパラダイス」だのと(古くて、すみません)アホみたいな流行歌の一節を思い出しては、東京へ行かなければと焦り悩んだものだった。どうだろう。そのような東京の「魔」は、いまだに存在しているのだろうか。東京の玉蜀黍はあいかわらず不味いけれど、依然として「魔」のほうだけは健在のような気がする。ところで、今朝までに、集団就職の子供たちや季節労働者を迎えてきた夜行列車専用の上野駅「18番ホーム」が消滅したという。(清水哲男)




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