September 0791999

 れもん滴り夜に触れし香を昇らしむ

                           櫛原希伊子

もん(檸檬)の故郷はインド。ただし、日本が輸入しているのは、多くアメリカ西海岸からだ。一年中出回っているので季節感に乏しい果実だが、秋に実るので秋の季語とされてきた。句意は明瞭だ。ただし「れもん(を)絞り」ではなく「滴り」と詠んだところが、句品を高める技巧の妙と言うべきか。「絞り」と書けば主語は作者になるけれど、「滴り」の主語は「れもん」それ自体である。誰が絞って滴らせたわけでもない。すなわち、ここでの「れもん」は、あたかも神の御手が絞り給うたかのようにとらえられており、そのことを受けて作者は香を天に「昇らし」めている。夕食後の紅茶のひとときでもあろうか。「れもん」が貴重だったころの檸檬賛歌として、極めて上質な抒情句と言えよう。こんなふうに檸檬の香を大切にして楽しんだ時代が、懐しい。それに引き換え、何にでもレモンを添えてくる昨今の食べ物屋の無粋は、なんとかならないものか。最も腹が立つのは、コーラにまでくっつけてくる店だ。イヤだねえ、田舎者は。同じ田舎者として、恥ずかしくて顔が赤くなる。(清水哲男)




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