September 0591999

 茄子の擦傷死ぬまでを気の急きどおし

                           池田澄子

性や気質とは、どうにもならないものなのだろうか。たいした理由もないのに気が急(せ)いて、茄子に擦り傷をつけてしまった。あるいは、気が急いているのに、茄子の擦り傷に目がとまり、またそこで苛立って、ますます気が急くことになった。そんな句意だろう。意外にも、総じて女性は短気だそうだから、女性の大半の読者には作者の気持ちがすぐに理解できるだろう。女性が勝負事に弱いのは短気のせいだと、プロの男性棋士に聞いたことがある。負けず劣らずに、私もまた本質的には気が短いので、この苛立ちはよくわかる。どうせ、死ぬまでこうなのだろう。と、自分に呆れ、自分を諦めている作者の顔が浮かんでくるようだ。漱石の『坊ちゃん』の冒頭部を引くまでもなく、とりわけて男の短気は無鉄砲にも通じ、子供のころからソンばかりしている。「短気は損気」と知っているので、余計に損を積み重ねる。くつろぎの場でも、いろいろと気短く神経が働いてしまい、どうしても呑気になれない不幸。私の飲酒癖も、元をたどればそのあたりに原因がある。酒が好きなのではない。酒でも飲まなければ、ゆったりした気分になれなかったのである。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)




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