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August 2881999

 駅弁にはららご飯の加はりぬ

                           伊藤玉枝

繁に旅をしている人だろうか。それとも、駅弁を売っている人なのか。季節によって、駅弁の種類も変化する。新しいメニューに、今日から「はららご飯」が登場した。いよいよ秋だなあ、という感慨。北海道の読者ならご存知だろうが、「はららご飯」は「はらら・ごはん」ではなく、「はららご・めし」と読む。「はららご」には「腹子」という漢字をあて、主として鮭(さけ)の卵のことを言う。塩漬けにして食べるのが一般的か。この駅弁を食べたことはないけれど、いつか機会を得たいと思う。東京のデパートでよく開かれる「北海道名産市」あたりに出るのかもしれない。話は飛ぶが、はじめてヨーロッパで汽車の旅(パリからアムステルダムまで)をしたときに、列車環境はすこぶる快適だったのに、何か物足らない気もした。駅弁がなかったせいだ。まさか「はららご飯」があるなどとは思わなかったけれど、停車する駅ごとにきょろきょろと見回してみても、駅弁に代わりうる食べ物は売っていない。腹にたまりそうなものといえば、バナナくらいだった。せめて飛行機の機内食程度のものを売ってもよさそうなのに……。素早く作って素早く売り捌くという発想が、性に合わないのかもしれない。(清水哲男)


November 02112001

 菊添ふやまた重箱に鮭の魚

                           服部嵐雪

諧の宗匠は忙しい。連日のように、あちらこちらの句会に顔を出さねばならぬ。したがって食事は外食が多く、嵐雪の時代にはその都度「重箱」を開くことになるわけだ。この日の膳の上には「菊」が添えてあり、おっなかなかに風流なことよと蓋を取ってみて、がっかり。またしてもメインのおかずは「鮭(さけ)」ではないか。このところ、どこへ行っても鮭ばかりが出る。いくら旬だといえども「もう、うんざりだ」と閉口している図だろう。「鮭の魚(うお、あるいは「いお」と読ませるのかも)」と留めたのは、「鮭」と留めると字足らずになるからではなくて、「鮭」にあえて「魚」と念を押すことで、コンチクショウメという意味の、ちょっと語気を荒げたような感じを表現したかったためだと思う。今風に言えば、料亭の飯にうんざりしているどこぞのおエライさんのような贅沢にも思えるが、江戸元禄期あたりの「重箱」は、現代の仕出し弁当に近かったようだ。たとえば正月用の「重箱料理」などの豪華さは、もっと後の時代(18世紀半ばくらい)からのものらしい。となれば、嵐雪のがっかりにも納得がいく。いまの仕出し弁当もたまにはよいが、連日となると辟易するだろう。その昔、人気絶頂のタイガー・マスクが、控室でしょんぼりと仕出し弁当をつついていた姿を思い出した。きっと、うんざりしてたんだな。(清水哲男)


September 2592006

 山彦に遡るなり秋の魚

                           秋山 夢

識的に解釈すれば、「秋の魚」とは「鮭」のことだろう。この季節、鮭は産卵するために群れをなして故郷の川を遡ってくる。テレビの映像でしか見たことはないが、その様子はなかなかに壮観だ。「月明の水盛りあげて鮭のぼる」(渡部柳春)という句もあるので、昼夜を問わずひたすらにのぼってくるものらしい。本能的な行動とはいえ、全力を傾け生命を賭して遡る姿には胸を打たれる。この句、「山彦に」の「に」が実によく効いている。このとき山彦とは、べつに人間が発した声のそれでなくともよい。山のなかで育ったのでよくわかるのだが、山にはいつも何かの音が木霊している。しーんと静まり返っているようなときにも、実はいつも音がしているものだ。その木霊は、山が深くなればなるほどに鮮明になる。すなわち揚句の「秋の魚」は、山奥へ上流へと、さながら山彦「に」導かれ、引っ張られるようにのぼっているというわけだ。大気も川の水も、奥へ遡るほど清冽さを増してゆく。この句全体から立ちのぼってくるのは、こしゃくな人知を越えた自然界がおのずと発する山彦のごとき秋気であろう。『水茎』(2006)所収。(清水哲男)


November 09112007

 鮭のぼるまつはりのぼるもののあり

                           依田明倫

のを写していると、どこかで、人生や社会の寓意や箴言に変貌することがある。実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂や飛んで火に入る夏の虫などと同様のあり方。「写生」がものそのものの描写を離れて比喩としてひとり歩きしてゆく。ひとり歩きしてゆくことに対して作者はどうこう言ってみようもない。実はこうなんだと言って解説してみせるほどみっともないことはない。しかし、誰もがはたと膝を打って寓意に転ずる描写は「写生」の本意ではないと僕は思う。「もの」に見入ることが同時に「自分」に見入ることにつながるというのが、茂吉の「実相観入」や楸邨の「真実感合」の根本にあった。そういう態度を持っての「写生」も寓意に傾く可能性を拡げてはいまいか。鮭が遡上してゆく。その魚のからだのまわりに微小な塵のごときものが見える。澄んだ水中のもろもろである。「まつはりのぼるもの」をまず思念として捉えるのではなく、そのまま実景として読みたい。鮭ののぼってくる川をよく知る人でなければできない把握である。実景としてのリアルを「像」として読んで、そこから比喩でも寓意でも戯画でもなんでも拡げていけばいい。ものを写すという方法の核は五感の「リアル」そのものの中にある。「現代秀句選集」(1998)所載。(今井 聖)


June 1562012

 鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽

                           金子兜太

きな景を自身の旅への期待感で纏めた作品だ。加藤楸邨は隠岐への旅の直前に「さえざえと雪後の天の怒濤かな」と詠んだ。楸邨の句はまだ東京にあってこれから行く隠岐への期待感に満ちている。兜太の句も北海道に鮭を食いに行く旅への期待と欲望に満ちている。雪後の天に怒濤を感じるダイナミズムと夕焼け空の色と形に肛門を感じる兜太のそれにはやはり師弟の共通点を感じる。言うまでもなく肛門はシモネタとしての笑いや俳諧の味ではない。食うがあって肛門が出てくる。体全体で旅への憧れを詠った句だ。こういうのをほんとうの挨拶句というのではないか。『蜿蜿』(1968)所収。(今井 聖)




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