August 2581999

 対岸は輝きにけり鬼やんま

                           沼尻巳津子

岸が輝いているのは、そちら側に夕日がさしているからだ。川岸に立つ作者の目の前を、ときおり大きな鬼やんまが凄いスピードで飛んでいく。吹く風も心地好い秋の夕暮れだ。心身ともにコンディションがよくないと、こうした句は生まれない。それにしても、「鬼やんま」とは懐しい。最近はめっきり少なくなったようで、最後に見かけたのはいつごろだったろうか。もう、四半世紀以上も見たことがないような気がする。昔の子供としては、当然「蜻蛉釣り」にうつつを抜かした時期があり、「鬼やんま」をつかまえるのが最も難しかった。なにしろ、飛ぶ速度が早い。尋常のスピードではない。だから、まず捕虫網などでは無理だった。太い糸の両端に小石を結びつけ、こいつを「鬼やんま」の進路に見当をつけて投げ上げる。うまくからみつけば、さしもの「鬼やんま」もばたりと落ちてくる寸法だ。熟練しないと、なかなかそうは問屋がおろさない。小さい子には無理な技であった。句が作られたのは、四半世紀ほど前のことらしい。東京の人だから、その当時の東京にも、いる所にはいたということだ。『華彌撒』(1983)所収。(清水哲男)




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