お帰りなさい。故郷や旅先の地は如何がでしたか。東京は、少しばかり静かでしたよ。




1999年8月16日の句(前日までの二句を含む)

August 1681999

 ナフタリン痩せ夏休み半ば過ぐ

                           林 薫

フタリンとは、懐しや。秋冬物を収納した洋服ダンスを、ちょっとした小物か何かを探す必要があって開けたときの感慨だろう。ふと見ると、いくつものナフタリンがかなり痩せてきている。ナフタリン独特の芳香のなかで、不意に作者は時の流れの早さを感じた。そういえば、なんだか永遠につづきそうな感じだった子供たちの夏休みも、もう後半だ……。作者は静かにタンスを閉め、とてもやさしい心になるのである。似たような句に、安住敦の「夏休みも半ばの雨となりにけり」がある。いずれも、単調な日常のなかでの小さな異変に触発されて、時の経過に思いが至っている。とくにナフタリンの句は、芳香の懐しさともあいまって、作者の気持ちがよく伝わってくる。今宵は、京都五山の送り火だ。こうした派手な行事に接すると、否応なく時の流れを感じざるを得ないけれど、そうではない日常的な瑣末な出来事から発想された句の世界に、私はより強い滋味を感じる。(清水哲男)


August 1581999

 敗戦の前後の綺羅の米恋し

                           三橋敏雄

スコミなどでは、呑気に「終戦記念日」などと言う。なぜ、まるで他人事みたいに言うのか。まごうかたなく、この国は戦争に敗れたのである。敗戦の日の作者は二十五歳。横須賀の海軍工機学校第一分隊で、その日をむかえた。句が作られたのは、戦後三十年を経た頃なので、かつての飢餓の記憶も薄れている。飽食の時代への入り口くらいの時期か。それが突然、敗戦前後に食べた「綺羅(きら)の米」が恋しくなった。「綺羅」は、当時の言葉で白米のことを「銀シャリ」と言っていたので、それを踏まえているのだろう。なかなかお目にかかれなかった「銀シャリ」のまぶしさ、そして美味しさ。いまの自分は、毎日白米を食べてはいるが、当時のそれとはどこか違う。輝きが違う。あの感動を、もう一度味わいたい。飢餓に苦しんだ世代ならではの作品だ。若き日の三橋敏雄には、他に戦争を詠んだ無季の佳句がいくつもある。「酒を呑み酔ふに至らざる突撃」「隊伍の兵ふりむきざまの記録映画」「夜目に燃え商館の内撃たれたり」など。『三橋敏雄全句集』(1982)所収。(清水哲男)


August 1481999

 づかづかと来て踊子にさゝやける

                           高野素十

句で「踊子」といえば、盆踊りの踊り手のこと。今夜あたりは、全国各地で踊りの輪が見られるだろう。句の二人は、よほど「よい仲」なのか。輪のなかで踊っている女に、いきなり「づかづか」と近づいてきた男が、何やらそっと耳打ちをしている。一言か、二言。女は軽くうなずき、また先と変わらぬ様子で輪のなかに溶けていく。気になる光景だが、しょせんは他人事だ……。夜の盆踊りのスナップとして、目のつけどころが面白い。盆踊りの空間に瀰漫している淫靡な解放感を、二人に代表させたというわけである。田舎の盆踊りでは句に類したこともままあるが、色気は抜きにしても、重要な社交の場となる。踊りの輪のなかに懐しい顔を見つけては、「元気そうでなにより」と目で挨拶を送ったり、「後でな……」と左手を口元に持っていき、うなずきあったりもする。こういう句を読むと、ひとりでに帰心が湧いてきてしまう。もう何年、田舎に帰っていないだろうか。これから先の長くはあるまい生涯のうちに、果たして帰れる夏はあるのだろうか。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)




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