August 0881999

 秋来ぬと目にさや豆のふとりかな

                           大伴大江丸

う秋か。今日からは残暑の時季。さて、立秋の歌といえば、なんといっても『古今集』にある藤原敏行「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」が有名だろう。が、「秋来ぬ」とは言うものの、昨日に変わらぬ今日の暑さであり、まだまだ暑い盛り。周囲の環境に何の秋らしい変化も認められないが、しかし、吹く風のなかには、かすかに秋の気配が立ち上がっているようである、と。秋は、風が連れてくるのだ。作者の大江丸(おおえまる)はこの歌を踏まえて、いたずらっぽく詠み替えている。にやりとしている。敏行の乙にすました貴族的な顔も悪くはないけれど、庶民にとっては微妙な「風の音」なんかよりも太った「さや豆」のほうが大切だと、いかにも大阪人らしい発想だ。「風流の秋」よりも「食欲の秋」だと詠むのも、また「風流」と言うべきか。大江丸は18世紀の大阪の人で、飛脚問屋を営んでいたという。たしかに「腹がへっては仕事にならぬ」ハードな商売ではある。(清水哲男)




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