August 0581999

 小流れに指しびれけりお花畑

                           森田 峠

語のなかには、時々首をかしげたくなるものがある。「お花畑」もその一つで、季節は夏。単に「花畑」というと秋の季語になるから、ややこしい。「お花畑」は、夏になって高山植物がどっと花を開いた状態を指すのであって、平地の花畑ではないのだ。平井照敏氏の『新歳時記』(河出文庫版)によれば、本意は「登山が盛んになってからの季題で、「お」をつけて、その清浄美をあらわす」とある。そうかなあ。「お」一文字に、そんな力があるかなあ。と、首をかしげていても仕方がないが、このことがわかって、はじめて「小流れ」の冷たさの意味が理解できる。そういえば、もう二十年ほども前になるか。一度だけ、信州は白馬岳で「お花畑」とは露知らずに「お花畑」を見たことがある。カンカン照りだったけれど、さほど暑さも感じられず、さまざまな色に咲き揃った花々の姿は見事に美しかった。天に近い。そんな実感だった。ペンションが流行しはじめたころで、脱サラ(これまた流行)の人がやっているところで宿泊した。食堂に流れていた音楽は、クラシック。私も若かったが、世の中も十分に若かった。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)




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