G黷ェ床句

August 0281999

 ぼんぼりの家紋違へて川床隣る

                           橋本美代子

床(ゆか)は、京都鴨川沿いや貴船のそれが有名。要するに、夏の間だけ茶屋や料亭が川の上に桟敷を突き出して作る座敷のこと。カフェテラスの川版だ。当然、川床の下には水が流れるわけで、見た目には涼しそうだが、実際はどうなのだろうか。京都に住んでいたので毎夏遠目にはしたが、そんな高級な夕涼みはしたことがなく、わからない。家紋入りのぼんぼりを立てるなどは、いかにも豪勢だ。到底、一般人の立ち入れる場所ではない。若いころには、こうした遊びに反発も覚えたけれど、最近はそうも思わなくなってきた。当然のことながら遊びも文化だから、豪勢な遊びのできる人は少ないとしても、その豪奢に引っ張られるようにして、一般人の遊びのレベルも上がってくる理屈だ。当今の料亭は汚職の取り引きの場所ともなりがちだが、その閉鎖的な空間が育ててきた極上の遊びの文化、衣食文化の功績には多大なものがありそうだ。ひたすらに遊びのためにだけ、ありたけの智恵を絞る仕事は、たとえ商売とはいえ、素晴らしいことではあるまいか。ところで、お宅の家紋は何ですか。我が家は、たしか抱茗荷(だきみょうが)だったと……。(清水哲男)


July 1672012

 川床に来て氷金時などいふな

                           松村武雄

都には六年住んだが、「川床(ゆか)」には一度も縁がなかった。どだい学生風情が上がれるような気安いところではなかったから、毎夏鴨川の道端からそのにぎわいを遠望するだけで、あそこには別の人種がいるんだくらいに思っていた。たまさかそんな川床に招かれた作者は、京情緒を満喫すべく、しかもいささか緊張気味に坐っている。で、料理の注文をとなったときに、同席の誰かが大きな声で「氷金時」と言ったのだ。たぶん、そういう場所で遊び慣れた人なのだろう。が、緊張気味の作者にしてみれば、せっかくの心持ちが台無しである。こんなところに来てまで、どこにでもあるような氷菓を注文したりするなよと、顔で笑って心で泣いての心境だ。めったに行けない店にいる喜びがぶち壊されたようで、むらむらと怒りもわいてきた。わかるなあ、この気持ち。最近はスターバックスの川床もできているそうだから、もはや若い人にこの句の真意は伝わらないかもしれない。でもねえ、せっかくの川床で、アメリカンなんてのは、どうなのかなあ。なお余談だが、作者は詩人北村太郎(本名・松村文雄)の実弟。一卵性双生児だった。『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)

{違ったかな}「氷金時」を注文したのは、連れて行った子どもだったのかもしれませんね。そのほうが素直な解釈に思えてきました。うーむ。




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