August 0181999

 柔かく女豹がふみて岩灼くる

                           富安風生

月。なお酷暑の日々がつづく。季語は「灼(や)く」で、言いえて妙。「焼く」よりも、もっと身体に刺し込んでくるような暑さが感じられる。昭和初期の新興俳句時代に、誓子や秋桜子などによってはじめられた比較的新しい季語だ。作者は動物園で着想を得たのだろうが、それを感じさせない奥行きを持つ。女豹(めひょう)のしなやかな姿態が、灼けた岩の上に、いとも楽々とある図は、どこかで現実を超えている神秘性すら感じさせる。灼けるような暑さのなかで、女豹のいる位置だけに、あたかも幻想の時が流れているようだ。同工の句に、中島斌雄の「灼くる宙に眼ひらき麒麟孤独なり」がある。こちらも動物園の世界の外を思わせはするけれど、「孤独」がいささか世界を狭くしてしまった。麒麟(きりん)を人間の「孤独」に引き寄せ過ぎている。つまり、麒麟の心を読者に解説したサービスによる失敗だ。見たままを言いっ放しにする度胸。言葉の直球を投げ込む度胸。俳句作りには、いつもこの度胸が問われている。(清水哲男)




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