July 2471999

 夕端居髪ふれゆきしものは誰か

                           小倉涌史

房装置などなかったころ、人は家の縁側や風通しのよい所に涼を求めた。これが「端居(はしい)」。仕事を終えた夕刻、そんな人の姿をよく見かけたものだ。庭では、まだ薄明るいのに、闇を待ちかねた子供らが花火に興じていたりした。作者は現代の人だが、冷房を嫌ってか、縁先に出ている。昼間の仕事に疲れていたのかもしれない。ぼんやりと表を眺めていると、かすかに髪の毛をさわられた感じがしたというのだ。誰も背後を通った気配もなく、たとえ通ったとしても、大人の髪をさわって通る人はいないだろう。でも、たしかに誰かが、髪に触れていったという感触が残った。見回しても、誰もいない。錯覚だろうか、幻覚だろうか。いずれにせよ、作者の鋭敏な感覚が紡ぎだした不思議な世界であり、しかも読者に「ありうること」と納得させる力のある句だ。そして、この句を得たほぼ一年後(1998)に、作者・小倉涌史は急逝することになる。さすれば「ふれゆきしもの」は、あるいは神であったのかもしれぬ。お会いしたことはないが、一歳年下の小倉さんは開設当初からの読者であり、種々アドバイスもしていただいた仲だった。今日が命日。彼の才能を惜しむ。なんで他の人の句を掲げられようか。遺句集『受洗せり』(角川書店・1999)所収。(清水哲男)




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