July 2271999

 草茂みベースボールの道白し

                           正岡子規

岡子規の野球好きは、つとに有名だ。写真館で撮影したユニフォーム姿が残っているくらいだから、熱の入れようは尋常ではなかったらしい。明治19年(1886)の大学予備門(後の第一高等中学校)の寄宿舎報に「赤組は正岡常規氏と岩岡保作氏と交互にピッチとキャッチになられ」とあるのが、子規の野球熱を伝える最初の記事である。もっとも、百年以上も前の時代には「野球」という言葉はなかった。子規の文章を読むと「弄球」などと出てきて、はてなと思わされたりする。十代の終わり頃から二十代のはじめにかけて熱中した「弄球」も、突然の喀血によって終わりを告げる。句は、病床にあった子規が、幻のように野球熱中時代を回想したものだ。「草茂み」で、季節は夏。「道白し」は私が幻と言う所以で、白い球やユニフォームや、あるいは石灰で引いた(かもしれぬ)白いラインのことなどを、このように表現したのだろうと読める。病臥苦闘のなかにしてペースボールを思う気持ちは、そのまま子規の絶望の深さにつながっている。炎暑の床で白い幻を見た人の生涯は、まことに短かった。『寒山落木』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます