July 2071999

 暑中休暇の雀来てをり朝の庭

                           清水基吉

供であれ大人であれ、夏休みの朝は格別な気分になる。とくに休暇がはじまった朝は、いつまで寝ていてもよいようなものだが、かえって早起きをしたりする。日常とは異なる生活時間の流れを意識して、軽い興奮状態になるからだろう。静かで、なんでもないように写る句であるが、そこらあたりの気分をよくとらえている。休暇であろうとなかろうと、毎朝庭に雀は来ているわけで、しかし日頃は気にもとめない存在でしかない。あわただしい朝の時間に追われて、来ていることすら意識しない場合のほうが多いだろう。それを今朝ははっきりと意識して、しばらく眺め入っているという句境。私がサラリーマンだった頃は、こういうときに何故か心の内で「ざまあ見ろ」などとつぶやいていたのは、品性下劣のなせるところか。しかし、休暇も三日目くらいになると無性に人恋しくなってきて、「ざまあ見ろ」の旗はさっさと下ろし、同僚がいそうな新宿の酒場に向かったのだから「ざま」は無かった。格好よくなかった。(清水哲男)




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