July 1871999

 焼酎を野越え山越え酌み交はす

                           菅 裸馬

の途中。「野越え山越え」というのだから、列車の中だろう。気の置けない仲間と列車の一隅を占拠して、良い心持ちになっている。つまり、ほとんど出来上がっている(笑)。酔眼に流れる窓外の景色は、まさに「野越え山越え」の常套句さながらと思われて、ますます気宇壮大の気分に拍車がかかる。そして、この「野越え山越え」には、もう一つの抽象的な淡い意味がこめられていると思われる。これまた常套句を使っておけば、「はるばると来つるものかな」という人生上の情緒的哀歓だ。楽しく酔っている場面だから、そんな哀歓はちらりと淡く胸をかすめただけだろう。が、そこを見落とすと、句の味わいは薄っぺらなものにる。まったく酒を飲まない人にはわからない句境だろうが、飲酒の最中にさしたる理由もなく、ふっと訪れる哀歓もまた、酒の良さなのだ。「野越え山越え」と楽しそうな酔っ払いたちにも、それぞれの人生があるということ。今日も日本のどこかでは、こんな酔っ払いたちが「野越え山越え」と酌み交わしていることだろう。「焼酎」は夏の季語。(清水哲男)




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