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July 1571999

 子ら寝しかば妻へのみやげ枇杷を出す

                           篠原 梵

てしまった子供たちが可哀相だと受け取ってはいけない。むしろ、これは厚い(かどうかは別にして、とにかく)親心から発想された句だからである。というのも、昔は夜間に冷たい生ものなどを食すると、抵抗力の弱い子供などは、すぐに腹痛を起こしたりするという「衛生思想」が一般の常識だったからだ。したがって、寝る前に枇杷などとんでもないというわけで、作者は子供らの寝るときを待っていたのである。そういえば、私も母親から、枇杷だったか何だったかは忘れたけれど、子供の私にかくれて風呂場で何かを食べた覚えがあると聞かされたことがある。子供が寝るまでも待てなかったことからすると、アイスクリームの類だったのかもしれない。そんなことなら、気をきかせればよかった(笑)。おいしかっただろうか。一種、禁断の味のような感じはしたにちがいない。高齢化社会になってきて、この逆のケース(むろん子供は成人しているけれど)も、既にどこかで起きているような気がする。お互いに、明日は我が身ということさ。(清水哲男)


July 0372001

 枇杷すする母は手首に輪ゴムはめ

                           沢村和子

い物をすると、何でもかでも包装紙の上から「輪ゴム」をかけて渡す時代があった。文庫本でも二冊以上買うと、ぱちんと輪ゴムでとめてくれた。そうした輪ゴムは捨てないでとっておき、再利用したものである。ただ粗悪品が多かったので、せっかくとっておいても、使うときには切れてしまうこともしばしばだった。ちなみに、掲句は1956年(昭和三十一年)の作。母親が買い物の折りに、出回りはじめた枇杷(びわ)を買ってきてくれたのだろう。作者といっしょにおやつとして食べているのだが、母親の手首にはいま外したばかりの輪ゴムがとりあえず「はめ」られており、後でしかるべき場所に保管するのだ。枇杷を「食べる」のではなく「すする」という表現とともに、ゆっくりとおやつを味わうヒマもない母親の姿が活写されている。極端に言えば、中腰でのおやつ時という印象。よく働いた昔の母親像を、これだけの道具立てで描いてみせた作者の腕前は相当なものである。この句から十六年後に「風鈴や湖わたりくる母菩薩」の一句がある。合わせて読むと、ひどく切ない。そしてその三年後には「藤房の死にとどきつつさがりけり」と……。私の知るかぎり、これが沢村和子最後の作品である。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)


July 1672003

 爛々とをとめ樹上に枇杷すゝる

                           橋本多佳子

語は「枇杷(びわ)」で夏。実の形、あるいは葉のそれが楽器の琵琶に似ていることからの命名と言われる。掲句の枇杷の樹は野生のものだろう。調べてみると、大分、山口、福井などで、いまでも野生種が見られるそうだ。少年時代、まさにその山口の田舎に枇杷の樹があった。我が家が飲み水を汲んでいた清冽な湧水池の辺に立っており、高さは十メートルほどもあったと思う。葉が濃緑色の長楕円形をしていたせいで、なんとなく陰気な感じを受ける樹だった。でも、その樹に登ったり、実を食べたことはない。池の辺といっても、向こう岸の深い薮のある斜面にあったため、とても子供が近寄れる場所ではなかったからだ。この句を読んで、はじめて枇杷が登れる樹であることを知ったのだった。木刀にするくらいだから、固くて折れる気遣いはない樹なのだろう。その頑丈な樹に、さながら猿(ましら)のようにするすると登って実をもぐや、一心に「すゝ」っている「をとめ」の姿。まるで映画の野生児ターザンの相棒のジェーンみたいだけれど、おそらくこの「をとめ」は少女のことだろうから、ジェーンよりはかなり年下だ。が、その姿はまさに「爛々(らんらん)」たる野性味に溢れていて、その存在感に作者は圧倒されつつも感に入っている。この場合、樹上の人物が少女ではなくて少年だとすると、さしたる野性味は感じられない。ターザン映画でも、なぜかジェーンのほうに野性味があった。不思議だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


May 2252004

 枇杷抱けば ピカソの女が泣くような

                           伊丹啓子

語は「枇杷(びわ)」で夏。「ピカソの(描いた)女」は、言うまでもなく抽象化されている。したがって、この句もまた抽象化された表現として読む必要があるだろう。小さな枇杷の実をたとえ複数個であろうとも、「抱けば」とするのは具象表現としては妙なのだが、抽象化したそれと読めば違和感はない。私は、たった一個の枇杷だと見る。そのほうが、抽象度が高まるからだ。一個の枇杷を抱く気持ちで両掌で包んだときに、いきなりピカソの女が泣くような構図になったと言うのである。抽象は物象を形骸化することではなく、その本質を掴み浮き上がらせることだ。このときに鼻や目の位置がおかしいとか、身体各部の釣り合いがとれていないといった日常的常識的な目は無効となる。ピカソの女は、宇宙的自然的な時空間とのバランスがとれていれば、それでよいのだからである。一切の虚飾や虚妄を排された一個の生命の姿が、そこにある。だから「泣く」にしても、忍び泣きなどではなくて、心底から込み上げてくる感情の吐露でなければならない。掲句は、両掌にそっと枇杷を包んで湧いてきたいとおしいような感情がぐんと高まってきて、その純粋な気持ちが、ピカソの女のそれと無理なく自然に通じ合ったのだ。いまならば、ともに泣けるだろう。そのような一種の至福の心境が、良質な抒情性を伴って述べられている。作者のこの孤独のありようは、枇杷の色さながらに、むしろ明るい。なお、俳句の文字間空け表記に私は必ずしも賛成ではないのだが、この句の場合には好感が持てた。『ドッグウッド』(2004)所収。(清水哲男)


August 1782007

 膝抱けば錨のかたち枇杷熟れる

                           坪内稔典

、海軍、滅亡、沈没、死者、敗戦、夏・・・というふうに日本人の連想は続く。夏と敗戦のつながりは決定的で、夾竹桃や百日紅からもすぐ敗戦を連想する人さえいる。そういう日本人がいなくなる未来はどのくらい経ったらやってくるのだろう。テレビの街頭インタビューで日本がアメリカと戦ったということすら知らない若者が何人もいたが、これはにわかには信じがたい。日本人の大学進学率は確か七十パーセントを超える。第二次大戦は言わずもがな、ポツダム宣言あたりを知らなければ大学はおろか、有名私立中学にも受からない。あのテレビはやらせだ。この句は日本人の苦い連想の上に立っている。「膝抱けば」は死者の姿勢。沈んでいる遺骨への思い。同じ句集の中の「赤錆のわたしは錨草茂る」も同様の内容。この句では、陸の上にある見えている錨が描かれる。わたし即ち錨という発想だが、草茂るもあるし、わたし、日本人、戦争、夏、というイメージからは離れられない。作者もその効果を承知で構成している。錨即ち海軍。どうも帝国海軍は知的であったのに帝国陸軍が横暴で敗戦必定の戦争に持ち込んだという論議が一般的だ。ほんとにそうかなあ。海軍もめちゃくちゃな作戦で多くの海戦をやったように思える。今から見れば。『月光の音』(2001)所収。(今井 聖)


May 0852010

 葉桜や橋の上なる停留所

                           皆吉爽雨

留所があるほどなので、長くて広い橋だろう。葉桜の濃い緑と共に、花の盛りの頃の風景も浮かんでくる。最近は、バス停、と省略されて詠まれることも多い、バス停留所。こうして、停留所、とあらためて言葉にすると、ぼんやりとバスを待ちながら、まっすぐに続いている桜並木を飽かずに眺めているような、ゆったりした気分になる。大正十年の作と知れば、なおさら時間はゆっくり過ぎているように思え、十九歳で作句を始めた爽雨、その時二十歳と知れば、目に映るものを次々に俳句にする青年の、薫風を全身に受けて立つ姿が思われる。翌十一年には〈枇杷を食ふ腕あらはに病婦かな〉〈ころびたる児に遠ころげ夏蜜柑〉など、すでにその着眼点に個性が感じられる句が並んでいて興味深い。『雪解』(1938)所収。(今井肖子)


May 1252010

 皿の枇杷つぶらつぶらの灯なりけり

                           和田芳恵

杷の白い花が咲くのは冬だが、その実は五〜六月頃に熟す。枇杷の木は家屋敷内に植えるものではない、という言い伝えを耳にしたことがある。しかし、家のすぐ外に植えてある例をたくさん目にする。オレンジ色の豆電球のような実がびっしりと生(な)るのはみごとだけれども、緑の濃い葉の茂りがどことなく陰気に感じられてならない。その実一つ一つは豆電球のようないとしい形をしていて、まさしく「つぶらつぶらの灯」そのものである。食べる前に、しばし皿の上の「つぶら」を愛でている、の図である。あっさりとした甘味が喜ばれる。皮がぺろりとむけるのも、子供ならずともうれしく感じられる。それにしても、つぶらな実のわりに種がつるりとして、不釣り合いに大きいのは愛嬌と言っていいのかもしれない。「枇杷の種こつんころりと独りかな」(角川照子)という句を想う。千葉や長崎、鹿児島のものが味がよいとされるが、千葉では種無し枇杷を開発しているようだ。あの大きめの種が無いというのは、呆気ない気がするなあ。枇杷は山ほど食べたいとは思わないけれど、年に一度は旬のものを味わいたい。樋口一葉研究でよく知られた芳恵は、志田素琴について数年俳句を学んだことがあるという。夏の句に「ほととぎす夜の湖面を鋭くす」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2452012

 枇杷熟れてまだあたたかき山羊の乳

                           三好万美

の昔、牧場で飲む牛乳はおいしいと搾りたての牛乳を飲まされた。だけどアルミの容器に満たされた液体は、むうっと生臭い感じがして苦手だった。多分生き物の体温がぬるく残っているのが嫌だったのだろう。回虫がついていると洗剤を使って野菜を洗うのがコマーシャルで流れていた時代だ。人工的なことが洗練されているという思い込みがあったのかもしれない。掲句では真っ白な山羊からほとばしりでる乳と枇杷の明るい橙色のコントラストが素敵だ。銀色の生毛に包まれた枇杷も暖かかろう。山の斜面に山羊を遊ばせ乳を搾る生活が残っている地域ってあるのだろうか。そんな牧歌的風景があるなら見て見たい。『満ち潮』(2009)所収。(三宅やよい)


July 1072012

 烏瓜の花を星雲見るごとく

                           宮津昭彦

没後に開く烏瓜の花の微細さは、見るたび胸をしめつける。レースや煙、寺田寅彦にいたっては骸骨などとあまりといえばあまりな見立てもみられるが、どれもどこかしっくりこないのは、比喩されたことにより遠のいてしまうような掴みどころのなさをこの花は持っているのだと思う。しかし、掲句の「星雲」といわれてみれば、たしかにこれほど似つかわしい言葉はないと納得する。漆黒の宇宙のなかに浮く星雲もまた、目を凝らせば凝らすほどと、もやもやと紛れてしまうような曖昧さがある。美しいというより、不可解に近いことも同種である。夜だけ咲く花を媒介する昆虫や鳥がいるのかと不思議に思っていたが、明かりに集まる蛾がその白さに寄ってくるという。花びらの縁から発する糸状の繊維は、もしかしたら光りを模しているのかもしれないと思うと、ますます満天に灯る星屑のように見えてくる。もっとよく観察しようと部屋に持ち帰れば、みるみる萎れてしまう、あえかな闇の国の花である。〈枇杷熟るる木へゆつくりと風とどき〉〈近づけば紫陽花もまた近寄りぬ〉『花蘇芳』(2012)所収。(土肥あき子)


May 2852013

 青竹の天秤棒に枇杷あふれ

                           江見悦子

りたての青竹に下げられた籠にあふれんばかりの枇杷の色彩が美しい。枇杷の産毛がきらきらと光り輝いている様子まで目に見えるようだ。あるところに「わたしの好物」という文章を寄せるにあたり、迷いなく枇杷について書かせてもらったことがある。そこで枇杷色のことについて触れた。日本の伝統色でありながら馴染みが薄い色名であるが、そのふっくらとしたまろやかな語感にはいかにも枇杷全体が表れているようで、なんとか周知したいと願っている。掲句の夢のような景色に出会うためには中国太湖まで足を伸ばさねばならないようだが、しかし路地を枇杷売りが「びーわー」とのどかにやってくる枇杷色の夕暮れを想像させてもらっただけで幸せに胸はふくらみ、頬はゆるむ。ところで、ひとつの文章に同じ単語を繰り返さないというのは、作文の時間で習ったごく初歩的な禁忌であるが、枇杷好きが高じて今日の文章のなかには九つもの枇杷が登場してしまった。〈潮待ちの港に蝦蛄の量り売り〉〈月桃の葉に爪ほどのかたつむり〉『朴の青空』(2013)所収。(土肥あき子)


May 2752014

 抱く犬の鼓動の早き薄暑かな

                           井上じろ

夏の日差しのなかで、愛犬と一緒に駆け回る楽しく健康的なひととき。本能を取り戻した犬の鼻はつやつやと緑の香りを嗅ぎわけるように得意げにうごめき、心から嬉しそうに疾走する。それでもひとたび飼い主が呼び掛ければまっしぐらに戻ってくる。ひたむきな愛情表現を真正面から受け止めるように抱き上げてみれば、薄着になった身体に犬の鼓動がはっきりと伝わってきたのだ。それが一途に駆けてきたことと、飼い主と存分に遊べることの喜びで高鳴っているためだと理解しつつ、思いのほか早く打つ鼓動が、楽しいだけの気分に一点の影を落とす。一生に打つ鼓動はどの動物でも同じ……。この従順な愛すべき家族が意外な早さで大人になってしまう事実に抱きしめる腕に力がこもる。〈たわわなる枇杷ごと家の売り出さる〉〈単身の窓に馴染みの守宮かな〉『東京松山』(2012)所収。(土肥あき子)




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