July 1271999

 放浪や肘へ氷菓の汁垂れて

                           飴山 實

大生だった作者が、夏休みに俳句仲間と奥能登へ旅行した際の句。二十一歳(1947)。戦後二年目の旅だ。もとより、貧乏旅行だったろう。旅の気持ちを「放浪」気分と詠んで、いかにも若者らしい強がりも含めた青春像が見て取れる。「氷菓(ひょうか)」は、アイスキャンデーだと思う。当時の固くて冷たくて唇に吸い付くような棒状のアイスキャンデーは、しばらく舐めて温めないと噛み砕けなかった。しかし、温まってくると、今度はにわかに崩壊剥落するので厄介だった。したがって、もちろん肘に汁が垂れることもある。「放浪」と感じたもうひとつの根拠には、このような氷菓の「崩壊」も関与したに違いない。作者は、肘に垂れた汁を拭おうともしていない。眼前に展開するのは、夏の激しい陽光を照り返す日本海の荒波だ。若者は垂れるにまかせて、いささかヒロイックに「放浪」者として立っている。「明日の暦は知らず氷菓の紅にごる」と、敗戦後の青春はみずからの明日を設計することもかなわず、いわば昂然と鬱屈していたのである。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)




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