June 3061999

 還暦を過ぎし勤めや茄子汁

                           前川富士子

者本人が、還暦を過ぎているわけではないだろう。そんな気がする。自分を詠んだとすると、素材が付き過ぎていて面白くない。夫か、父親か。作者は、今日も、その人のための朝餉を用意している。この季節になると、いつも当たり前のように茄子汁(なすびじる)を出してきた。出された人は黙々と食べ、いつもの時刻に今朝もまた出勤していく。何十年も変わらぬ夏場の茄子汁であり朝の情景であるが、黙々と食べて出勤していく人は、いつしか還暦を過ぎてしまった。変わらない食卓と、変わらないようでいて変わっていく人のありよう……。そこにさりげない視点を当てた、鋭い句だ。還暦を過ぎた私の日常も、半分は勤め人みたいなものだから、句を読んでドキリとさせられるものがあった。若いつもりではいても、このように見ている人にかかっては、当方の内心など何も関係はないのだ。だから「ご苦労さま」でもないし「そろそろ退職を考えては……」でもない、実にクールなところを評価したい。ここでベタベタしてしまっては、いつもと変わらぬせっかくの「茄子汁」の味が落ちてしまう。(清水哲男)




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