June 1661999

 隣席は老のひとりのどぜう鍋

                           大沢てる子

物というと普通は冬季のものだが、「どぜう鍋(泥鰌鍋)」は夏季。暑い最中に熱い鍋をフーフーやりながら食べるのが美味いそうだが、私は一度も食したことなし。少年期を過ごした山口県の田舎には、泥鰌など自然にいくらでもいたのだけれど、食べられるとは思っていなかった。どちらかというと、川遊びの友だちのような存在だった。イナゴについても、同様だ。幼い頃からの友だちを、誰が食べようなどと思うだろうか。食べたことはないけれど、野蛮な友人たちが美味そうに食べる姿は、何度も見たことがある。あれは多分、大勢でわいわい言いながら食べるほうが似合う食べ物のようだ。それを隣席の老人は、ひとりで黙々と食べている。そんな姿が気になる細やかな感受性を私は好きだが、でも、作者もまた誰かと一緒に泥鰌を食べているのだと思うと、なんだかシラける気分にもなる。近い将来、私が独り身になることがあったら、一度は泥鰌を食べに行ってみようか。隣席に作者のような心優しい人がいるかもしれないが、なあに、こっちは生涯を掛けての大冒険のつもりなのだから、むしろ妖しい殺気のようなものを感じてほしいと思う。無理だろうな。(清水哲男)




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