June 1061999

 吊皮にごとりとうごく梅雨の街

                           横山白虹

なずけますね。「ごとりとうごく」のは、物理的にはむろん電車のほうだが、梅雨空の下の街は灰白色でひとまとめになっているように見えるので、街のほうが傾いで動いたように思える。雪景色の場合はもっと鮮明に、そのように感じられる。これが逆に晴天だと、街の無数の色彩がそれぞれに定着した個を主張してくるので、街ぜんたいが揺れるようには写らない。「だから、どうなんだ」と言われても困るけれど、俳句表現とは面白いもので、この「だから、どうなんだ」という反問を、実は句の支えにして成立しているようなところがある。ここで俳句の歴史を詳述する余裕はないが、乱暴に言っておけば、俳句は常に一つの「質問」の構造を先験的に持つ文学だ。これは言うまでもなく「連句」の流れから来ている。発句を一行の詩として屹立させようとした正岡子規らの奮闘努力の甲斐もなく(!?)、無意識的にもせよ、反問をあらかじめ予知した上での俳句作りは後を絶たない。「反問」と言うから穏やかではないのであって、一句の後に読者が勝手に七七を付けてくださいよ(読者の印象を個人的にふくらませてくださいよ)と、いまだに多くの俳句は呼びかけを発しつづけている。こんなに独特な表現様式を持つ文学は、他にないだろう。(清水哲男)




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