June 0861999

 休むとは流れることねあめんぼう

                           黒田早苗

語でなければ表現できない俳句世界はあるだろうか。最近、口語俳句について考える機会があって、口語俳句にこだわっている人々の俳句や五七五にさえなっていれば後は自由という作品などを、まとめて読んでみた。はっきり言って、なかなかよい句は見当たらなかった。なぜ、口語なのか。多くの句が、そのあたりのことを漫然とやり過ごしているように思えたからである。俳句のような短い詩型にあって、たとえば文語である「切れ字」を使用しないで物を言う口語は、かえって口語を不自由に窮屈にしているようだ。そんななかで、掲句は例外的と言ってもよいほどに、口語ならではの世界の現出に成功している。同じ心持ちを文語的に詠めないことはない。古来関西では「あめんぼう(水馬)」を「みづすまし」と呼ぶから、「休むとは流るることよみづすまし」などと……。でも、これでは「人間、サボッていると時代に流されてしまうぞ」という教訓句になってしまう。掲句の作者は、そんなことは露ほども思っていない。見たまま、感じたままを「あめんぼう」に呼びかけることで、伸び伸びとした「俳味」に通じる世界を出現させている。作者の年齢は二十五歳とあった。『自由語り』(第七回伊藤園「おーいお茶」新俳句大賞入選作品集・1996)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます