June 0761999

 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首

                           阿波野青畝

語は「蛇」で夏。鳳凰堂は宇治平等院の有名な伽藍である。十円玉の裏にも刻んであるので、見たことがない読者はそちらを参照してください。前池をはさんで鳳凰堂を眺めていた作者の目に、突然水のゆれる様子がうつった。目をこらすと、伽藍に向かって泳いでいく蛇の首が見えたというのである。この句の良さは、まずは出来事を伏せておいて「水」と「鳳凰堂」から伽藍の優雅なたたずまいを読者に連想させ、後に「蛇の首」と意外性を盛り込んだところにある。たとえ作者と同じ情景を見たとしても、なかなかこのように堂々たる鳳凰堂の姿を残しながら、出来事を詠むことは難しい。無技巧と見えて、実はとても技巧的な作品なのだ。同じ「水」と「鳳凰堂」の句に「水馬鳳凰堂をゆるがせる」(飴山實)がある。前池に写った鳳凰堂の影を、盛んに水馬(あめんぼう)がゆるがせている。こちらは明らかに技巧的な作品だが、少しく理に落ちていて、「蛇の首」ほどのインパクトは感じられない。『春の鳶』(1951)所収。(清水哲男)




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