May 2751999

 いとけなく植田となりてなびきをり

                           橋本多佳子

植えが終わって間もない田。植えられた早苗はまだか細くも薄緑色で、鏡のような水田を渡る五月の風に、いささか頼りなげになびいている。しばらくすると、これら「いとけなき」ものたちも成長して、見事な青田に変わっていくわけだ。さながら人間の赤ん坊を見ているような思いから、多佳子は「いとけなく」と詠んでおり、一見平凡な形容とも受け取れるが、生きとし生けるものへの愛情こまやかな優れた表現だと思う。青年期以降、私の周辺には水田がなく、田圃のなかで育った人間としては、寂しい思いをしてきた。たまさかの旅で、車窓から田圃が見えると、反射的にいつも目が行く。田圃で働く人の姿がちらと見えると、目に焼きつく。先日の遠野の旅では、実にひさしぶりに植田を間近に見ることができて、観光用の名所や建物などよりも、よほど目の保養になった。立ち止っては、写真に撮ることもした。こんな旅の者もいるのである。我が山陰の田舎でも、田植えが終わったころだ。終わると、大人たちは「泥落とし」と称し、集まって一杯やっていたことを思いだす。(清水哲男)




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