May 2051999

 孤児たちに映画くる日や燕の天

                           古沢太穂

書に「港北区中里学園にて」とある。戦災孤児の収容施設かと思われる。楽しみにしていた巡回映画がやってくる日の、子供たちの沸き立つような喜びの気持ちが「燕の天」に極まっている。こうした施設にかぎらず、敗戦後の一時期、子供たちにとっての映画は「くる」ものであった。大都会ではどうだったのかは知らないが、私が通っていた村の学校にも、ときどき巡回映画がやってきた。そんな日は、嬉しくて授業にも身が入らない。昼食が終わると、みんなで机と椅子を教室の片側に寄せ、窓には暗幕がわりに社会科で使う大きな地図などを貼り付けて準備した。そこへ、16ミリ映写機とフィルムの缶を抱えたおじさんと先生が登場。拍手する子もいたっけな。おじさんはまず映写機の電源を入れ、シーツのようなスクリーンに向けて光を放ち、ピントを合わせる作業にかかる。僕らは、その段階から固唾をのんで見守ったものだ。そんなふうにして、数多くの映画を見た。谷口千吉の『銀嶺の果て』や黒沢明の『酔いどれ天使』といった大人向きの作品も、どういうわけか上映された。ラブ・シーンになると、先生があわててレンズの前を押さえていた。古沢太穂は共産党員で、苛烈な労働闘争の句も多いが、子供を見る目は限りなく優しかった。「巣燕仰ぐ金髪汝も日本の子」。「汝(なれ)」は米兵を父とする混血児である。『古沢太穂句集』(1955)所収。(清水哲男)




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