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May 1551999

 夏場所や汐風うまき隅田川

                           牧野寥々

場所。相撲好きの人にとってはたまらないだろう。しかも、一年でもっともビールがうまい時でもある。初日と二日目には、曙が休養明けにもかかわらず、無気力相撲で負けてしまった。最近は、大相撲も面白くない。それにつけてもこの句を見ると、昔の東京の隅田川は良かっただろうなあと思う。「汐風うまき」とは良くいった。我々が知った頃の隅田川は、まさにドブの臭いであったが……。もちろんこの句は、そのドブと化した隅田川の「昔」を偲んでのものに違いない。だからこそ、江戸っ子ならではの思いがこもっているのだ。作者の牧野寥々は明治45年(1912)東京生まれ。少年の頃よりの松根東洋城の「渋柿」門。こういう句は、こういう経歴のところからしか生まれない。『現代秀句選集』(別冊「俳句」1998年9月刊)所載。(井川博年)


May 1052000

 夏場所やもとよりわざのすくひなげ

                           久保田万太郎

場所見物。「すくひなげ」得意のひいき力士が、見事にその技で勝ってくれた。胸のすくような相撲ぶりだった。「これでなくっちゃあ」と、作者の力こぶが「もとより」にこめられている。夏場所だけに、相撲が撥ねた後の川風の心地よさも、きっと格別だろう。いかにも江戸っ子らしい、粋な味わい。技巧的ではあるが、嫌みがない。現代でも「夏場所」が特別視されるのは、その昔に神社仏塔営繕の資金を募った勧進相撲の名残りだからである。明治初期にはじまった本場所は、この夏場所と一月の春場所との二度しかなかった。しかも、一場所は十日間。すなわち「一年を二十日で暮すいい男」というわけだ。いまは六場所制だが、四場所になったのは1953年(昭和28年)のことで、昔は現在のように年中本場所興行があったわけではない。したがって、ファンの熱の入れようも大変なものだったろう。取り組みの一番一番が貴重だったのだ。加えて戦前までは、町や村のあちこちに当たり前のように土俵があり、子供から大人まで相撲人口も多かった。すそ野が広かった。だから、こういう句も生まれるべくして生まれてきたのである。平井照敏編『新歳時記』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 2252005

 煌々と夏場所終りまた老ゆる

                           秋元不死男

語は「夏場所(五月場所)」。いまは六場所制だが、五月場所は初場所と並んで歴史が古い。作者は、毎年この場所を楽しみにしていたのだろう。千秋楽、館内「煌々(こうこう)」たるうちに優勝力士の表彰式も終わり、立ち上がって帰る前に、あらためて場内を見回して余韻を噛みしめている。充実した場所に大いに満足はしているのだが、それだけにもう来年まで見られないのかと思うと、一抹の寂寥感がわいてくる。そんな感情にかられるのもまた相撲見物の楽しみの一つではあるものの、一年に一度の夏場所ゆえ、ふっと我が身の年齢に思いが及んだりする。また一つ、年を取った……。あと何度くらい、ここで夏場所を楽しめるだろうか。若いうちには思いもしなかった「老い」の意識が、遮りようもなく脳裡をかすめたというのだ。まだ大相撲人気が沸騰していたころの句だから、この寂寥感は無理なく当時の読者の共感を呼んだにちがいない。比べると、昨今の相撲にはこうした感情が入りにくくなったような気がする。それは何も朝青龍などの外国人力士が強いからというのではなく、相撲そのものの内容が、昔とはすっかり変わってしまったせいではないのかと愚考する。いちばん変わったのは、勝負に至るスピードだろう。行司がついていけないほどのスピーデイな相撲は、よほどの玄人でないかぎり、見ていてもよくわからない。わからなくては、感情移入の隙もない。格段の技術の進歩が、かえって人気を落としてしまったというのが、ド素人の私の解釈である。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 0362007

 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

                           久保田万太郎

存知のように夏場所は白鵬が連続優勝を飾り、来場所からは久々の2横綱になります。と、知ったようなことを書きましたが、最近は相撲をテレビ観戦する習慣もなく新聞の大きな見出しに目を通すばかりです。掲句を読んでまず注目したのは「水あさぎ」という語でした。浅学にも、色の名称であることを知らず、いったいこのあざやかな語はどういう意味を持っているのだろうと思ったのです。調べてみれば、「あさぎ」は「浅葱」と書いて、「みずいろ」のことでした。さらに「水あさぎ」は「あさぎ」のさらに薄い色ということです。そういわれて見れば、「水あさぎ」という音韻は、すずしげな水面を連想させます。句の構成はいたって単純です。「夏場所」から「ひかへぶとん」へ連想はつながり、「ひかへぶとん」の属性(色)として「水あさぎ」が置かれているだけです。言い換えれば中七の「ひかへぶとん」が連結器の役割をして、両腕にイメージの強い2語がぶら下がっている格好です。しかし、構成は単純でも、出来上がった作品は独自の世界を見せています。「ひかへぶとん」の「ひかへ」が、「あさぎ」と相まって句全体に奥ゆかしさをもたらしています。みずみずしく力の漲った、透き通るような句です。作者には「夏場所やもとよりわざのすくひなげ」という句もあります。夏場所についての解説を含め、興味のある方は増俳2000年5月10日をクリックして下さい。『作句歳時記 夏』(1989・講談社)所載。(松下育男)


May 1152011

 夏場所やもとよりわざのすくひなげ

                           久保田万太郎

相撲夏場所は8日に幕をあけた。このところしばらく、八百長問題で23人の処分を出すなど、史上例のない騒動をつづけてきた大日本相撲協会。春場所につづいて夏場所の開催も危ぶまれたが、何とか走り出した。しかし、これですべて解決したというわけではない。異例の入場料無料での開催として、別に被災地への義援金を募るという。有料にして、それを義援金とすべしという声もあがった。こうしたすったもんだの挙句の本場所開催を、相撲好きだった万太郎は、彼岸でどう眺めているだろうか。「すくひなげ」は「掬い投げ」で、相手のまわしを引かずに掬うようにして投げる決まり手である。寄切りや押出しなどよりも、このわざが決まった時はじつに鮮やかである。往年のわざ師・栃錦か初代若ノ花のきびきびした土俵を彷彿させる。じっさい万太郎は彼らのわざを目の当たりにしていたか、イメージしていたのかもしれない。俳句として「もとよりわざの」という中七のテンポがみごとに決まっている。「すくひなげ」が、言うまでもなく当然のごとく決まったというのである。なかなかのわざ師。俳句で「もとより」などという言葉はやたらに使えるものではないし、ここは解放感のある夏場所でなくてはなるまい。わざが絵に描いたように決まって、館内の歓声までも聴こえてくるようだ。一月の春場所と五月の夏場所の本場所二場所制は、明治十年から長くつづいた。万太郎には他に「夏場所やひかへぶとんの水あさぎ」という秀句もある。いかにも夏。『新歳時記・夏』(1996)所収。(八木忠栄)


May 2052015

 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

                           久保田万太郎

催中の大相撲夏場所は、今日が11日目。今場所は誰が賜杯を手にするのだろうか? 先場所まで白鵬が六場所連続優勝を果たしてきた。ところが今場所、白鵬は意外にも初日に早くも逸ノ城に不覚をとった。さて、優勝の行方は? 力士が土俵下のひかえに入る前に、弟子が厚い座布団を担いで花道から運ぶ。座布団の夏場所にふさわしく涼しい水あさぎ色に、作者は注目し夏を感じている。二つ折りにした厚い座布団に、力士たちは腕を組んでドッカとすわる。一度あの座布団にすわってみたいものだといつも思う。暑い夏の館内の熱い声援と水あさぎの座布団、力士がきりりと結った髷の涼しさ、それらの取り合わせまでも感じさせてくれる。万太郎は相撲が好きでよく観戦したのだろう。私は家にいるかぎり、場所中はテレビ観戦しているのだが、仕切りの合間、背後に写る観客席のほうも気になる。今場所はこれまで林家ぺー、張本勲、三遊亭金時らの姿を見つけた。落語家は落語協会が買っているいい席で、交替で観戦している。万太郎のほかの句に「風鈴の舌ひらひらとまつりかな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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