May 1051999

 愛鳥の週に最たる駝鳥立つ

                           百合山羽公

鳥週間は、五月十日より一週間。ああ、駝鳥も鳥だったんだ……と、ちょっと意表を突かれる句。もちろん駝鳥も鳥には違いないが、愛鳥週間というとき、飼われて生きている鳥は「愛」の対象からは除外されている。愛鳥の発想が、山林や自然保護に発しているからだ。そこで作者は、あえて「最たる」と強調して駝鳥を立たせている。高村光太郎の「駝鳥」の詩ほどの社会意識はないにしても、どこかで「愛鳥」の勝手を皮肉っている。駝鳥の超然とした姿を通して、理不尽なことよ、と言っている。また今日では、飼われていなくても、愛鳥の心には不都合な鳥もいる。カラスなどは、その「最たる」ものだろう。戦後に書かれた柴田宵曲の文章に、こんな件りがある。「かつて先輩から聞かされた話によると、以前は東京の空も、麗かな日和には鳶(とび)や鴉(からす)が非常に多く飛んだものだが、今は少しも見えない」(『新編・俳諧博物誌』岩波文庫)と。鳶はともかく、いまや鴉は我が物顔で東京の空を飛んでいる。とても「カラスといっしょに帰りましょ」という童謡の気分にはなれない。句の「駝鳥」を「カラス」に変えても、一向にかまわない「愛鳥週間」とはあいなってきた。(清水哲男)




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