May 0251999

 朝顔を蒔くべきところ猫通る

                           藤田湘子

顔は、八十八夜の頃に蒔くのがよいとされる。作者はたぶん、今日蒔こうか、明日にしようかと決めかねている状態にあるのだろう。蒔くのならばあのあたりかなと、庭の片隅に目をやると、そこを野良猫が呑気な顔でノソノソと通り過ぎていったというのである。たったこれだけのことであるが、このようなシーンを書きとめることのできる俳句という詩型は、つくづく面白いものだと思わざるを得ない。この句は鋭い観察眼の所産でもなければ、何か特別なメッセージを含んでいるわけでもない。しかし、なんとなくわかるような気がするし、なんとなく滑稽な味わいもある。この「なんとなく」をきちんと定着させるのが、俳人の腕である。初心者にも作れそうに見えて、しかし容易には作れないのが、この種の句だ。たとえば、種を蒔いたところを猫が通ったのならば、素人にも作れる。それなりのわかりやすいドラマがあるからだ。が、このように何も言わないで、しかも自分の味を出すことの難しさ。百戦練磨の俳人にして、はじめて可能な句境と言えよう。最近の私は、こうした句に憧れている。『一個』(1984)所収。(清水哲男)




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