April 1441999

 目刺やく恋のねた刃を胸に研ぎ

                           稲垣きくの

そらく、焼かれている目刺(めざし)はぼうぼうと燃えているのだろう。が、なぜ作者が目刺を燃やすほどに焼いているのかは、知るよしもない。知るよしはないが、句の勢いだけはわかるような気がする。嫉妬することを俗に「やく」というけれど、この場合の目刺には気の毒ながら(というよりも、誰が食べるのだろう。食べさせられる人には大いに気の毒ながら)、作者は「こんちくしょう」とばかりに、目刺にアタッている。この「恋のねた刃」は、相当に曰くありげだ。誰にでも嫉妬心はあり、誰にもなかなか解消法は見つからない。昔から落語などで「嫉妬心(りんき)は、こんがり焼くものだ」と言ってきた。ほどほどに、ということだ。庶民の智恵だ。が、そんなことは承知しているつもりでも、いざとなったら、そうはいかないのがヒトの常だろう。で、かくのごとくに、盛んに大煙を上げることになる。この研がれた「ねた刃」は、いったい誰に向けられるのか。なんだか、他人事ながらハラハラしてくる。でも、逆に言えば、作品的にそう思わせているにすぎない作者のしたたかな芸なのかもしれず、作った後で舌をぺろっと出している顔を想像すると、実にシャクにさわる。いっそ単純に、現代の「滑稽句」ととったほうがよいのかもしれない。(清水哲男)




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