April 0941999

 片栗の一つの花の花盛り

                           高野素十

球のピッチャーの投法になぞらえれば、この句の技巧は「チェンジ・アップ」というやつだ。速球を投げるのとまったく同じフォームと勢いで、例えば物凄く緩(ゆる)い球を投げるのだ。素十というおっさんは、写生という速球投法を金科玉条としながらも、なかなかに喰えないボールを放ってくるので油断がならない。だって、そうではないか。片栗の花なんてものは、桜などとは違って、はなやかでもなんでもないし、その地味な花のたった一つをとらまえて「花盛り」もないものだ。よく言うよ。しかし、言われてみると、どんな花にも盛りはたしかにあるわけで、読者はみんな「うーむ」と唸ってしまう。プロのテクニックである。見事な技だ。こんな技を知ってから、片栗の花を見ると、なんだか違う魅力を覚えたりするから妙でもある。この片栗の花を、私の番組にブーケにして持ってきてくださった女性がいる。彼女は、八百屋で求めた食用の花を「もったいないので、花束にしてきた」という。東北産の一束が、およそ三百円弱。片栗の若葉は食用になるが、まさか八百屋で売っているとはねエ。これまた、田舎育ちの私には、強烈なチェンジ・アップを投げられた気分であった。見逃しの三振だった。『野花集』(1953)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます