March 2631999

 蝿生れ早や遁走の翅使ふ

                           秋元不死男

近はとんとお目にかからなくなったが、どこの家庭にも「蝿叩き」があったころの句。越冬した大人の蝿はもちろん、春に生まれる子供の蝿も、容赦なく打たれる。不衛生の権化ないしは象徴として、昔から蝿は打たれつづけてきた。あまりにも可哀相だと、一茶が例の有名な句を作ったほどだ。したがって、生まれたばかりの赤ちゃん蝿も、句のようにはやくも遁走の翅(はね)を使いはじめているという見立てである。作者の弁。「一茶にしろ、鬼城にしろ、どちらも貧乏で……好んで小動物を詠んだのは、何か貧乏とかかわりがあるのかも知れない。わけて一茶には蝿の句が多い。私も子供のころ貧乏な生活の中で育った。蝿の多い路地もあったろうし、従って家の中まで飛びまわる蝿もめずらしくなく、敵視する気持もそれほど強くなかった」。句は、生まれてすぐに人間から「敵視」される運命と定まった赤ちゃん蝿に、同情もし、哀れとも感じている。戦前の「俳句事件」で二年間の獄中生活を送った作者の心情が、子供時代の貧乏生活にプラスされて、いわれなき敵視を受けておびえる蝿の仕草に寄り添っている。『瘤』(1950)所収。(清水哲男)




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