March 2031999

 壁の貼繪は天皇一家芽独活煮る

                           松村蒼石

書に「長野に初めて風光(清水風光・俳人)を訪ふ」とあるから、自宅の景ではない。招かれた宅の壁に天皇一家の写真が貼ってあり、台所ではもてなしのための芽独活が煮られている。都会の喧騒を遠く離れた田舎家の静かなたたずまいが、好もしい。戦前の家庭の壁には、よく雑誌の付録として新年号などについてきた天皇や天皇夫妻の写真(御真影)が貼ってあったものだが、句は戦後も十数年を経た時期のものだから、「天皇誕生日」か何かのときの新聞写真の切り抜きかもしれない。作者はその写真に単に「ほお…」と思っただけで、写真を貼った主人の気持ちまでをも忖度しているわけではない。ネコにもシャクシにも、とにかく怒涛のようなアメリカ製民主主義が押し寄せていた当時にあって、たしかに壁の天皇写真は珍しくはあったろう。が、蒼石は否定もしていなければ、肯定もしていない。時代の潮流に翻弄されている都会との差を、この一枚の写真で明晰にしただけなのである。戦前から時間がとまったような地方のつつましい雰囲気を、写真という小道具で巧みに演出してみせた腕の冴え。『春霰』(1967)所収。(清水哲男)




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