March 1931999

 ハンドバツク寄せ集めあり春の芝

                           高浜虚子

え書きに「関西夏草会。宝塚ホテル」とあるから、ホテルの庭でのスケッチだ。萌え初めた若芝の庭園に、たくさんのハンドバッグ(虚子は「バツグ」ではなく「バツク」と表記している)が寄せ集められている。団体で宝塚見物に来ている女性客たちが、記念写真の撮影か何かのために置いたものが、一箇所に取りまとめられているのだろう。春と女性。いかにもこの季節にふさわしい心なごむ取り合わせだ。いくつかのハンドバッグが、春の光を反射して目にまぶしい。現代にも十分に通用する句景であるが、句作年月は昭和十八年(1943)の三月である。つまり、敗戦の二年前、戦争中なのだ。前年の三月には、東京で初の空襲警報が発令されてはいるが、嵐の前の静けさとでもいおうか、内地の庶民には、このようにまだまだ日本の春を楽しむ余裕のあったことがわかる。ただし、この句が作られたときの宝塚雪組公演の演目は「撃ちてし止まむ」「桃太郎」「みちのくの歌」と、戦時色の濃いものではあった(『宝塚歌劇の60年』宝塚歌劇団出版部・1974)。そして、虚子が信州小諸に疎開したのは、翌年の九月四日のこと。「風多き小諸の春は住み憂かり」などと、不意の田舎暮らしに不平を漏らしたりしている。『六百句』(1946)所収。(清水哲男)




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