March 1831999

 三田といへば慶応義塾春の星

                           深川正一郎

応の出身者なら、それも母校愛のある人にとっては、大満足の句だろう。とにかく、格好がよろしい。一読、おぼろにうるんだ春の星のまたたきの下で、愛する母校を誇らしく回想している句だと思えるからだ。が、作者は、実は慶応義塾とは何の関係もない人だった。最終学歴は、四国伊予は川之江二州学舎。大正十年にここを卒業し、兵役を経て菊池寛の文藝春秋社に入社すべく上京して、雑用をしながら小説を書いたりしていた。すなわち、この句は、そんなふうにして東京に生活していた若者の慶応義塾への「憧れ」を詠んだものだ。「野球といえばジャイアンツ」と言うに近い心持ちである。もう故人となってしまったが、松竹の助監督だった私の友人が、上海ロケに出かけたときのエピソードがある。夕刻、仕事も終わって近所の公園を散歩していたら、人品骨柄いやしからぬ中国人の紳士が近寄ってきて、話しかけてきたそうだ。「日本の方とお見受けしましたが、最近の『三田』はどうなっておりますでしょうか」。紳士は「三田といへば慶応義塾」の時代の学生だったという。古き良き時代、春の星もさぞや美しかったことだろう。『正一郎句集』(1958)所収。(清水哲男)




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