March 1631999

 燈を消せば船が過ぎをり春障子

                           加藤楸邨

岐島での諷詠。隠岐島は、出雲の北方およそ四十キロに位置する二つの島からなる。作者が「さて、寝るとしようか」と、宿の部屋の燈を消して床につこうとしたら、海を行き交う船の燈火がぼんやりと障子に写っていたという図。いかにも、ほんのりと春めいてきた暖かな夜を暗示していて、心地好い句だ。冬の宿であれば、当然雨戸を閉めてしまうので、船の燈火など写りようもないのである。ところで「春障子」という季語はないようだけれど、我が歳時記では採用したくなるほどに、この言葉はそれ単体で春ならではの情緒を醸し出していると思う。隠岐島でなくとも、都会地であっても、春の障子にはそれぞれにそれらしい雰囲気があるからである。ただ残念なことに、障子それ自体が一般家庭では絶滅の危機に瀕していることもあり、障子の認知度は低くなる一方だ。下側から作業を進める障子紙の貼り方も、もはや若い人には無縁であるし、これからは「障子」そのものが歳時記的に市民権を維持することはないだろう。古い建具がすたれていくのは時代の流れであり、同時に句のような情緒も消えていくということになる。愚痴じゃないけれど、こうした句に接するたびに「昔はよかった」と思ってしまう。「文化」は「情緒」を駆逐する。(清水哲男)




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