March 1531999

 かりそめにはえて桃さく畠かな

                           心 流

のページで何度か紹介した柴田宵曲(しょうきょく・1897-1966)の『古句を観る』(岩波文庫・緑106-1)は、元禄時代の無名俳人の句ばかりを集めて観賞解説した奇書である(いまも本屋さんで670円で売ってます)。机辺に置いてときどき拾い読みをしているが、俳句の巧拙とは関係なく、当時の人たちの自然や社会との付き合いの様子がよくわかって、面白いし、好もしい。いわゆる「江戸趣味」の持ち合わせはないのだけれど、読んでいて、とても心のなごむ気がする。この句も、私にとって、当世の流行語を借りれば「癒し」を感じさせられる五七五であって、宵曲も書いているように「別にいい句でもないが、何となくのんびりしている」ところが大好きだ。句意は、畠の隅にそれこそ何となく生えてきた桃の木をうっちゃっておいたら、いつの間にか花が咲きはじめたなあ、ということである。ただ、それだけのこと。明治期に空想を排し写実を称揚した正岡子規がこの句を知ったら、何と言っただろう。ベタ讃めした可能性も、大いにあったのではあるまいか。宵曲は「こういう技巧のない、大まかな句を作ることは、近代人にはむずかしいかも知れない」と書いている。その通りだ。作者が大真面目なだけに、大まかさが生きてくる見本でもある。(清水哲男)




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