March 1331999

 春の宵歯痛の歯ぐき押してみる

                           徳川夢声

の気分は経験者にはよくわかる。ずきずきする歯ぐきを、本当は触りたくないんだけど押してみる。押すことによって痛みを一段深く味わう、こんな倒錯した心理は、歯痛を経験したことのない者にはわからないだろうな、と半分は空威張りしているのだ。この素朴のようでいて下手でなく、平凡のようでいて非凡のような句の作者こそ誰あろう。戦前・戦後ラジオや映画で大活躍をした「お話の王様」徳川夢声。この句は、実は歯痛どころではない大変な時代の産物だった。時は昭和20年(1945年)3月13日、あの東京下町を焼き尽くした東京大空襲の3日後のこと。同じ頃の句に「一千機来襲の春となりにけり」「空襲の合間の日向ぼっこかな」とある。句日誌『雑記・雑俳二十五年』(オリオン書房)所収。(井川博年)




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