March 1131999

 雲雀とほし木の墓の泰司はひとり

                           阿部完市

解派の雄といわれる阿部完市の、これは比較的わかりやすい句だ。空高く朗らかに囀る雲雀(ひばり)の声を聞きながら、作者は粗末な木の墓で眠っている泰司のことを思っている。死者を尊ぶ常識からすると、泰司は雲雀とともに天にあらねばならないのだが、作者にはどうしてもそのようには思えず、泰司はやはり生きていた時と同じに地上の人でありつづけている。「泰司よ」と語りかけるような作者の優しさが胸にしみる。「泰司」が誰であるかは、作者以外には知りえない。まぎれもない固有名詞ではあるのだが、読者にはわからないのだ。しかしながら、この「泰司」は、三好達治の有名な雪の詩に出てくる「太郎」や「次郎」とは違う。同じ固有名詞でも、詩人の「太郎」や「次郎」は役所などの書類のサンプルに出てくるようなそれであり、たとえば「泰司」との入れ替えが可能な名前として使われている。ところが、俳人の「泰司」はそうではない。入れ替えは不可能なのだ。作者しか知らない人物ではあるが、この入れ替えの不可能性において、作者の限りない優しさを読者が感じられるという設計になっている。天には「雲雀」、地に「泰司」。春はいよいよ甘美でもあり、物悲しくもある。『無帽』(1956)所収。(清水哲男)




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