March 0931999

 土筆生ふ夢果たさざる男等に

                           矢島渚男

いぶんと作者も、つらいことを言うなア。生えてきた土筆は若い希望の象徴であり、土筆を発見して野にある男等はみな、既に若さとは遠く離れた中年である。右肩上がりの勢いと、その反対と……。構成の妙とはいえ、ある程度の年輪を重ねた読者のほとんどには、つらい句としか読めないだろう。むろん、私にも。卒業歌『仰げば尊し』の「身を立て名を上げ、やよ励めよ……」も実につらい文句だが、若さのなかで歌うから、この句よりも切実感はない。句集の成立年代から推定すると、作者は四十代だ。男等それぞれの夢が何かは知らないが、四十の坂を越えれば到達不可能な夢だとは知れる。そんなことは頭でわかっていても、なお夢を生きたい人が多いなかで、作者は「もう駄目なのだよ」と言い切っている。そこが、つらい。叙情句であるから、なおのこと心にしみる。ただし、この句には同時に別の効用もあって、それは否応なく読者に若き日の夢を想起させてくれる点だ。つらいだけではなく、懐しく過去の我が身を思い出すことには、多少の快感もある。かくいう私の十代早々の夢は、銀行員になることだった。そのことを作文に書いたら、若くて美人の野稲先生(山口県高俣中学国語担当教諭・故人)にぴしりと反対されてショックを受けた。この句のおかげで、鮮明に思い出したことの一つである。『木蘭』所収。(清水哲男)




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