March 0731999

 さしぬきを足でぬぐ夜や朧月

                           与謝蕪村

橋治『蕪村春秋』によれば、この句は「蕪村信奉者がわけてもしびれる王朝ものの一句である」という。「さしぬきは指貫、元来公家の衣服の一種で、裾をひもでくくるようにした袴(はかま)である。公服や略装に広く用いられた。その性格から、この句は若き貴公子を詠んだ、と通常考えられている」と説明があり、「つかみどころがないのがこの句の長所なのだ」とある。たしかに、つかみどころがない。どう読んでも空想の産物だからというのではなくて、情景があまりにも漠としているからだ。句の人物は酔って帰ったのか、それとも情事のさなかなのか、などといろいろに考えられる。現に、昔から解釈には何通りもあって、どれも当たっているし当たっていないしと、歯痒いかぎりだ。なかには『源氏物語』を引っ張りだすムキもある。そんなことを思い合わせて、私はいつしか情景を詮索してもはじまらない句だと思うようになった。観賞すべきは、生臭さだけだと。朧月だけの照明効果しかない暗い室内で、いわばスーツのズボンを足で脱ぐような行為そのものの自堕落さ。その生臭い感じだけを、作者は訴えたかったのではあるまいか。王朝も虚構なら、朧月もフィクションだ。人の呼吸が間近にあるような生臭さを演出するために、蕪村はこの舞台装置を選択したのだと。(清水哲男)




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