February 2721999

 妻留守に集金多し茎立てる

                           杉本 寛

は「くき」の古形で「くく」と読む。茎立(くくだち)は、春になって大根や蕪などが茎をのばすことで、この茎が「とうが立つ」と言うときの「とう」である。こうなったら、大根だと「す」が入って不味くなるので食べるわけにはいかない(人間だと、どうなるかは関知しない……)。農家では、種を取るために、わざと茎立のままに放置しておく。自註がある。「たまの休日。一人で留守居をしていると何故か客が多い。客といっても、集金・勧誘の類。折角読書をと思っても興がのらず、庭を眺めるだけ」。昭和57年(1982)の作品だ。当時はまだ、そんなに諸料金の銀行引き落としシステムが普及していなかったので、休日の亭主族はこんなメに会うことが多かった。庭の植物の茎立さながらに、われと我が身も「妻」に放置されたような苦い笑いが込められている。私にも、もちろん覚えがある。しつこい新聞の勧誘に粘り強くつきあって、ついに撃退(失礼っ)に成功したと思ったら、勧誘のお兄さんの捨てぜりふがイマイマしかった。「そうですねえ。ご主人に『アサヒ・シンブン』は難しすぎるかもしれませんねえ」だと。よくも言いやがったな。読書に戻るどころではない。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)




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